カーネーション
時代の先を走っていた糸子
流行が糸子が良いとする体のラインを強調するスタイルから
ルーズな感じのシルエットへ変わる
若いころの糸子ならばすぐに心にストーンとストライクなはずが
東京では流行っても大阪に来るのは2~3年後と自らのデザインでレディメイド服を作ってしまう。
ところが流行は思ったほど早く大阪へ
結果糸子デザインの服はまったく売れず
赤字を抱えてしまう。
糸子の店でも
「サックドレス」の注文が多くなる。
糸子がショックを受けたのは
自分のデザインが売れなかったのではなく
流行に自分の心が動かなかった事に
ショックを受けていた。
流行の最先端を歩んでいた糸子だからこそ
ショックは大きかったのだうと思う。