夕方のリビングには、お味噌汁にでもするのか、おだしのいい匂いが漂っていた。
リズミカルな包丁の音に、時々おばちゃんの鼻歌が混ざる。
アパートで二人で暮らすようになってもう随分経つ。まーくん家に来るのも久しぶりだ。
俺は小さく咳払いをして口を開いた。
「ゆうくんは志望校決めてるの?」
「…てかさぁ」
「赤本とか買いに行かないとね」
春休みが始まって、今日はまーくんの弟ゆうくんの家庭教師第一日目なのだ。
リビングのテーブルを挟んでゆうくんと向き合う。じき高校三年生になるゆうくんは、ガタイもよく随分大人っぽくなった。長めの前髪を透かしてこっちを見る目は、まーくんより少し吊り目だ。
子どもの頃にも…夏休みとか、こんなふうに一緒に宿題してたはずなのに、なんだか照れくさい。まーくんと三人でわーわーやってたのが、急にかしこまった感じになって、むずむずする。
いやでも、一応「先生」なんだし。バイト代貰うんだし。ここは気合を入れてやんないと!
「今度駅前の大きな書店で…」
「だからさあ!」
「え?」
ゆうくんが腰を浮かせて叫んだ。
「なんで兄ちゃんまで居るんだよっ!おかしいだろ!!なに考えてんだよ!」
ゆうくんが、俺の隣に当たり前のように座っているまーくんの顔の真ん前に、ビシリと人差し指を突き出した。
「え〜?可愛いかわいい弟の事を心配してるのにぃ。ダメ?」
「嘘つけっ!かわいいかわいいかずくんの心配してるだけだろ、どうせ!」
「なになに、ヤキモチ焼いてんの?」
ニコニコするまーくんに、「うるせぇ、んなわけあるかっ」とゆうくんが歯噛みした。
いやね、止めたんだよ?
俺だって保護者付きみたいで恥ずかしいし。
でも、「え〜?実家に帰るだけだよ」って言われると、そりゃそうかってなるし。
それに、久しぶりに帰ってきたまーくんにおばちゃんが嬉しそうな顔をするのを見るとさ、余計になんも言えないわけで。
やいやい言い合う兄弟。
台所から呼ばれて、まーくんが居なくなったとたん、ゆうくんがテーブルに身を乗り出して凄むように言った。
「絶対ヤダかんな!!」