お客様がやってくる週末は、曇天で今にも雨粒が落ちてきそうな空模様だった。

昼過ぎの到着までにと、アンドロイドがお茶菓子をせっせと焼いていて、台所には甘い匂いが立ちこめていた。

「ずいぶんたくさん作ってるね」
「あとで工房におすそ分けするの」

それを聞いた翔はにっこりして、「いいね!」と言った。そしてできたクッキーをひとつ摘んで、ひょいと口に入れ、

「めっちゃうまいよ、これ!雅紀も食べてみなっ!」

と、雅紀に声をかけた。
翔は朝からそわそわしており、お茶やコーヒー豆の在庫を確認したり、花を飾ろうとして花瓶をひっくり返したり、彼なりに忙しくしている。

雅紀はと言えば、やはり落ち着かなげに台所とリビングを行ったり来たりしていた。翔に渡されたクッキーも口に入れはしたが、感想もなく、アンドロイドのにのにぶぅぶぅ言われる。

「ご、ごめんごめん。おいしいよ!」
「だーかーらー、ごめんは一回!」

ぷんとむくれたアンドロイドに指摘される有様だ。だが、しかたない。雅紀の頭の中は、本日のお客様である三浦医師に、本物のにのを返してもらうお願いを、いかにして了承してもらうかでいっぱいなのだから。

なんとしても、なんとしてもにのを返して貰わねば。


準備が全て整い、あとはお客様の到着を待つばかりとなったところで、雨が降ってきた。
呼び鈴が鳴り、翔がドアを開けるとそこに、黒いこうもり傘をたたんでいる三浦医師が立っていた。

「お久しぶりです、先生」
「あぁ、元気だったかい?」

三浦医師は変わらない優しい声でそう尋ねてきたが、前よりだいぶ白髪が増えたようだった。
翔は丁重に三浦医師をテーブルに案内し、午後のお茶の時間が始まった。

親しげにお互いの近況を報告し合う翔と三浦医師を横目に、雅紀はまだどう説得しようか考え続けたいた。香りの良い紅茶にもてをつけず、テーブルの下で拳を握っている。

「ほう、可愛いアンドロイドを買ったんだね。にのくんに似てるが、これは…『白雪』かな?」

お茶のおかわりを持ってきたアンドロイドを見た三浦医師は、興味深そうに眺めた。

「ええ、改造してにのに似せてます。あまりに寂しいので…」
「…そうか。そうだな」

翔の返事に、三浦医師は眉を下げてから、うんうんと深く頷いた。
今だ、チャンスだ!
雅紀は焦るあまり、半分立ち上がってテーブルに膝をぶつけ、ガチャンと音を立てた。

「三浦先生!お願いです、にのを返してください!お願いします!!」

雅紀の突然の発言と勢いに、三浦医師はちょっとの間動きを止めていたが、じきに椅子に座り直し、曇った顔で「すまない」と頭を下げた。

「いや、すまないじゃなくて、なんとかならないんですか、にのはどうなっているんですか、教えてください!」
「雅紀っ」
「先生が、先生がにのを診てくれたんでしょう?なら、知ってますよね?」

翔に止められても、やめずに食い下がる。
さっきまで考えていた内容はすでに頭から吹っ飛んでいて、もう問い詰めるばかりになってしまう。

「にのはどこにいるんですか!?」
「雅紀くん…」
「先生!教えてください、お願いします!」

生キテイルンデスカ…とは聞けない。そんな言葉は言いたくない。知りたいのに知りたくない。
雅紀は三浦医師のそばに座り込んで、ただただ返してほしいと必死に訴えた。
翔がなだめようと雅紀に近づいた時、

「まーくん」

アンドロイドが後ろからふわりと雅紀の肩に、その細い腕を絡めた。

「落ち着いて。先生が困ってる」

興奮のあまり目に涙をにじませる雅紀を、優しく椅子に座らせて、紅茶を一口飲ませた。そして、その小さな手で雅紀の手を包んで、落ち着かせるようにそっと撫でた。
そんなアンドロイドの様子を、三浦医師はじっと見つめていた。