あのおじさんの名前は高橋克実らしい。
そこそこ売れてる作家なんだって。それ、自分で言う?って笑ってしまった。俺、全然知らなかったけどね。
でもあのアパートの部屋は、執筆するために週に三日くらい住んでいて、他所にちゃんとお家があるんだとか。遅咲きのおじさんは、まだ売れてない頃バイトしながら、ここで必死に書いていたんだそうな。
「ここに来ると、初心に帰るって言うかね」
なんて、だいぶ髪の毛が乏しい丸い頭を撫でてた。なぁんだ、笑うとやんちゃなイタズラ小僧みたいな顔になるじゃん。
「実はあんまし怖くなかった」
「……そーかもしれないけど。部屋に上げて二人きりとかなっちゃダメだよ」
まーくんはやっぱりまだまだ心配そう。
大丈夫、部屋になんて上げないよって笑ったら、なんとか機嫌を直してくれたみたい。
「あ、でもちょっと前、潤くんは部屋に入ってもらったよ。病院にお見舞いに行った帰りだって言ってた。ここに来たでしょ」
「あぁ、来たきた。心配するから言うなって言ったろ?なんで知らせるんだよぉ。翔ちゃんなんか、バカデカいケーキとか買ってきちゃってさあ」
そうだったね、俺もアレは食べきれなくて、ほとんどおばちゃんに持って帰ってもらったもん。
…なんて文句垂れてるけど、ホントは嬉しいんでしょ。目が完全に三日月だよ。
「潤くんが今度部屋で鍋しようぜってさ」
「この季節に?鍋は冬だろ、冬!」
そう言いつつ、満更でもない様子。
あとから思えば、あの部屋に出入りした身内以外の人間は、翔ちゃんと潤くんくらいだった。だからほとんどずっと、まーくんと二人きりで過ごせたんだ。
「あぁ、そろそろ面会時間終わっちゃう…」
俺はたまらずベッドに乗り上げて、まーくんにしがみつく。向こう側の傷に触らないよう、細心の注意を払って。
「もうほとんど苦しくないし。もうすぐこのホースも取れるさ」
そうなだめ口調なのに、腕はしっかり俺を受け止めて、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
ホースって…そんな水道の蛇口じゃないんだからって、照れ隠しで言い返そうとした時。
「俺だって、帰したくないよ」
なんて。
勝手にお腹の底が熱くなるじゃんか。
そんな事、耳元で囁かれるとますます帰りたくなくなるっての。
ほんと、ズルいんだからさ。