浅草川花戸を拠点に実在した幡随院長兵衛、女房の名はきん。四代目松本幸四郎(1737年 - 1802年)の三十三回忌五代目松本幸四郎の百ヶ日追善興行として、1838年9月(天保9年8月)に初演された『御摂手向花川戸』。すでに幡随院長兵衛の妻「お時」の名で登場する。

大名や旗本に奉公人を斡旋する、口入れ屋、口入れ稼業、今でいう人材派遣業を営む山脇惣右衛門の娘として江戸下谷町に1618年に生まれる。子分であった長兵衛こと塚本伊太郎と結婚、四つ上の姉さん女房。

旗本奴水野十郎左衛門に謀殺された長兵衛、享年28歳。長兵衛と妻きんの死亡時期には異説があり、2ヶ月前の1650年3月16日にきんが先に亡くなっていたと唱えるのは江戸文化・風俗の研究家、三田村鳶魚。きんの父・惣右衛門が、山脇家の菩提寺である源空寺に、自らよりも先立った娘夫婦を弔い、地蔵菩薩を彫った2基の墓を建立。戒名は善香寿散信女(ぜんこうじゅさんしんにょ)。

三代目岩井粂三郎(八代目岩井半四郎)演じるおきんをモデルとした「長兵衛女房お時」。
歌川国芳『杜若手向花川戸』1850年。