大原孫三郎(第七代当主/1880-1943)

明治13年(1880) 岡山県窪屋(くぼや)郡倉敷村(現・倉敷市)の大地主で倉敷紡績(クラボウ)を営む大原孝四郎の三男として生まれる。明治34年(1901) 青年時代、林源十郎 (第11代当主)により石井十次を紹介され地域社会への奉仕に目覚める。同年、十次の紹介で石井スエ(のち、壽惠子)と結婚。孫三郎のその後の倉敷発展の貢献度には目覚ましいものがあった。

①大正12年(1923) 倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立。同時に、倉紡中央病院附属看護婦養成所(現・倉敷中央看護専門学校)を開設。昨年創立100周年を迎えました。②大正15年(1926) 倉敷絹織(現在のクラレ) を設立。③昭和5年(1930) 大原美術館(児島虎次郎に収集を依頼した各国の美術品を収蔵)開館。など

林源十郎 (1865-1935)

360年あまりにわたる長い歴史の中で、倉敷の町づくりに大きく貢献した林源十郎商店(1657年創業、倉敷に誕生した薬屋)の第11代当主。明治後期から大正、昭和初期にかけて、大原孫三郎石井十次とともに、医療・福祉に従事し、倉敷生活者の暮らしを陰から支えてきた。

林源十郎商店

児島虎次郎(1881-1929)

東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科選科に入学。黒田清輝、藤島武二らに師事。倉敷の実業家大原家の奨学生となり、のちに大原家当主となった1歳年上の大原孫三郎とは生涯親交を保ち経済的援助を受けた。石井十次の長女・友子と結婚。孫三郎の依頼を受け絵画買い付けのため数度ヨーロッパに渡り、モネ、エル・グレコ、ゴーギャン、ロダンなどの作品を購入。この収集品が後の大原美術館建設の礎となった。また、1972年から2017年まで、倉敷紡績記念館(現倉敷アイビースクエア)内に、大原美術館別館として開設されていた「児島虎次郎記念館」は 新児島館(仮称)として倉敷市本町の旧中国銀行倉敷本町出張所建物に虎次郎の作品やコレクション(古代エジプトや西アジアの美術品)を展示、開催予定。(2025年3月末)

旧大原家住宅

昨年見学時、大原家ゆかりの人たち面々の画像の中に、十次、源十郎、虎次郎、小梅さんが確認できました。

石井十次(1865-1914)

明治期の慈善事業家。岡山孤児院を創設。その功績から、「児童福祉の父」と言われる。

炭谷小梅(岡山孤児院副院長/1848-1919)

大原孫三郎夫妻を媒酌人として、長女・友子が洋画家児島虎次郎と結婚(1913年)

後列 石井十次・石井辰子(十次の妻)・炭谷小梅・石井震子(十次の次女)

前列 大原孫三郎・児島虎次郎・新婦 友子・大原壽惠子