この日は鍼灸院(上賀茂)への送迎の帰り立ち寄りました。当初は、石山寺(大津市)の式部ちゃんの衣が新調された(この3月頃)と聞いていましたのでそちらを拝見しようと思っていましたが、先生から大徳寺の特別公開が明日までと伺いましたので急遽こちらへ赴きました。先生は比叡山近くのお寺からご自宅近くの大徳寺の檀家さんになられたようです。今回の特別公開は何といっても初公開となる経蔵(重要文化財)の拝観ができることでした。

⼤徳寺本坊 伽藍特別公開【経蔵 初公開】2024年4月25日~6月2日

大徳寺

⼤燈国師によって1326年に創建。後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」と評された禅宗の名刹(めいさつ)。⼀休宗純(そうじゅん)や沢庵宗彭(そうほう)などの名僧を輩出したほか、千利休狩野永徳など後世の⽇本⽂化に多⼤な影響を及ぼした⼈物たちが活躍した場でもあり、数多くの貴重な⽂化財を今に伝える。

経蔵

「経蔵」は、寛永13年(1636)建立の伽藍の一つ。江戸前期の京都の大富豪、那波宗旦(なわそうたん)の寄進により開山 大燈国師三百年忌に現在の法堂(はっとう)と同時期に建立された。堂内中心には八角輪蔵があり、一切経(釈迦の教説とかかわる、経・律・論の三蔵を含む経典の総称)など経典約3,500冊が収められ、その約半分が平安時代後期から鎌倉時代の経典であり、経典が納められている輪蔵を一回転させると、ここにあるお経を全て唱えたことと同じ功徳があると伝わる。また、輪蔵の前には傳大士(ふたいし/中国南北朝時代6世紀の僧でお経を収める転輪蔵の創始者)と二童子(父を尊敬していた息子)が祀られている。

輪蔵の足元に回転する仕掛けが確認できました。引き出しそれぞれの木箱に経典が納められています。

この日は、解説付きのツアー形式 約1時間で経蔵のほか、一般公開されている千利休が寄進した⾦⽑閣(重⽂)、仏殿(重文)の内部、狩野探幽が『雲⿓図』を描いた法堂(重文)の内部、唐門(国宝)をご案内いただきました。

 

三門「金毛閣」(重要文化財)

応仁の乱で焼け落ちた後、⼤永6年(1526)に⼀休和尚参徒の連歌師宗⻑の寄進により、初層部分が完成され、その60年後、千利休によって⼆層部分が完成し、⾦⽑閣と名づけられた。この楼上に草鞋(わらじ)を履(は)いた利休像を安置したことで秀吉の怒りを買い、利休切腹の⼀因になった。現在2階に安置されている利休像は江戸時代末期につくられた2代目、一般公開はされていません。

仏殿(重要文化財)

鏡天井の天井画は飛天が描かれており、典型的な禅宗様で狩野元信筆と伝わる。絵は木材に直接描かれているため修復できず当時のものがそのまま存在し、飛天を確認するのがやや困難でした。御本尊の釈迦如来像は4代将軍徳川家綱公の寄進によるもの。

法堂内『雲龍図』狩野探幽筆(重要文化財)

法堂は、禅宗寺院において⻑⽼が修⾏者に法を説くための建物で、教えを継ぐことを重要視する禅宗にとっては⾮常に神聖な場所。ここによく描かれるのが⿓で、⿓は仏法を守護し、法の⾬(仏法の教え)を降らせると共に、⽔を司(つかさど)ることから「⽕災から寺院を守る」ものでもあるとされる。真下で⼿を叩くと⿓が鳴いたように響くことから「鳴き⿓」とも称される。

唐門(からもん/国宝)

⼤徳寺の唐⾨は別名「⽇暮⾨」といわれ、国宝に指定されている。桃⼭建築の代表作で聚落第の遺構と⾔い伝えられ、桃⼭の三唐⾨(本願寺、豊国神社)の⼀つに数えられている。彫刻を観賞しているだけで日が暮れてしまう、という所から「⽇暮⾨」と名付けられた。平成11年から14年までの3年間で修復を施し、再び美しく当時の輝きを取り戻した。麒麟や孔雀、牡丹、波など、様々な動植物や天然物の彫刻が約40種類、⾊鮮やかに施されている。