本日のセミナー(1回目)は『藤原道長をとりまく女性たち』でした。その中で姉詮子(せんし)について『小右記』原文で紹介されました。『小右記』によると、長保3年(1001) 10月9日 東三条院詮子四十(40歳)算賀当日一条天皇行幸のもと、童舞の宴が催された。十歳の頼通(母 正妻倫子)は陵王(りょうおう/=龍王)を舞い、九歳の弟頼宗(母 次妻明子)は納蘇利(なそり)を舞った。二日前の試楽(しがく)では頼通に天皇から御衣が下賜(かし)されたのに対し、この日は頼宗の舞に天皇は感嘆されたようでその舞師に栄爵(えいしゃく)を与えた。これに対し道長は忿怨(ふんえん)したとある。道長によれば天皇からの下賜は単なる舞への賞讃ではなく、権勢の継承と同じく嫡子(ちゃくし/正妻の子)への賞讃が優先されるべきだという。

陵王

納蘇利

藤原実資(957-1046)

藤原北家小野宮流、参議・藤原斉敏の四男。藤原北家嫡流・小野宮流の膨大な家領を継ぎ、道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫いた。当代一流の学識人でもあった。従一位・右大臣。実資の残した『小右記』とは野宮大臣(実資)の日という意味で、この時代を知る貴重な資料となっている。道長が詠んだという歌、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」は『小右記』による。

藤原詮子(962-1002)

道長の4歳年上の姉で道長とは同居期間が長く道長が政界に進出するまで大変な力になった。第64代円融天皇の女御。第66代一条天皇の母(国母)。院号は東三条院。摂政関白・太政大臣藤原兼家の次女で、母は摂津守藤原中正の娘時姫。前後して摂関に在職した道隆道兼道長、また冷泉天皇女御超子は同母の兄弟。

セミナー会場(京都市中京区)

この日は、詮子のほか道長への影響が大きかった倫子、彰子を中心に、藤原家の系図、平安京での居所(昔は婿取り婚で夫は妻の居所で生活した)について、『小右記』のほか『御堂関白記』『栄華物語』『大鏡』原文を紹介しながら解説されました。セミナーは毎月(専門の先生がそれぞれ担当)独自のテーマで開催されます。受講希望者は興味があるセミナーを事前予約し参加します。(年間3回は無料でその他は割引料金)

御堂関白記』(道長直筆)

藤原道長