近江佐々木氏京極家

バサラ大名で有名な佐々木道誉(京極高氏)の京極家出雲・隠岐・飛騨の守護を世襲し、四職の一家にも数えられた。侍所頭人(とうにん)や相伴衆(しょうばんしゅう)という高い家格を誇り、近江国内では伊香郡浅井郡坂田郡を所領し江北の雄として江南の六角家と勢力を二分した。京極家は名門として江戸時代も存続。

佐々木道誉(京極高氏)(1296または1306-1373)

定綱-信綱-氏信-満信-宗氏-高氏(道誉の流れ

(平成3年大河太平記』) 懐かしいです。

鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれたことから、京極導誉(道誉)または京極高氏とも呼ばれる。初めは執権・北条高時に御相伴衆として仕えるが、のちに後醍醐天皇の(綸旨)りんじを受け鎌倉幕府を倒すべく兵を挙げた足利尊氏に従った。その後武士の支持を得られなかった後醍醐天皇の建武の新政から尊氏と共に離れ、尊氏の開いた室町幕府において政所執事や6カ国の守護を兼ねた。「ばさら」と呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆娑羅大名として知られ、『太平記』には謀(はかりごと)を廻(めぐ)らし権威を嘲笑し粋に振舞う導誉の逸話を多く残している。

北条高時

近江佐々木氏系図

京の隣国であり大国の近江には「佐々木」が繁栄した。中でも佐々木氏の嫡流近江の守護でもある「佐々木六角」の力は強かった。室町幕府は六角家が強大にならぬよう同じ佐々木一族の「京極」「大原」「西佐々木(高島)家」を近江守護である六角家の統制下に置かず牽制させることで六角家の強大化を阻んだ。幕府の思惑通り、六角家は近江守護を世襲したが、近江一国全体を守護領化するには至らなかった。なお、京極高次(初の夫/1563-1609) は高氏(道誉)の末裔。

佐々木道誉(京極高氏)-高秀-高詮-高光-持清-勝秀-高清-(-政経-材宗)-高吉-高次  の流れ

京極高次