清凉寺(嵯峨釈迦堂)本堂の「栴檀瑞像」の金文字

栴檀瑞像(せんだんずいぞう)」とは、寛和(かんな)2年(986) 奝然(ちょうねん) が宋から帰朝の折 請来(しょうらい)した本尊釈迦如来像を指す。栴檀造りのお釈迦様ということで、本堂の中には生人(しょうじん)のお釈迦様がいらっしゃいます。黄檗(おうばく)大本山の寺院「萬福寺」(まんぷくじ)の開山となった「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」(明末清初の禅宗の仏教僧。江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。) の万治(まんじ)2年(1659) の書。隠元が清凉寺に参詣した折、自分の生国(しょうごく)からはるばると、この嵯峨の地に請来された釈迦を拝して、その感激の筆致(ひっち)をこの扁額(へんがく)に残したもの。

奝然が夢みた日本の「五台山清凉寺

黄檗山 萬福寺

京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」。山号は黄檗山。1661年に中国僧「隠元隆琦禅師」によって開創された。その後幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改称し現在に至る。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されている。斎堂(食堂)前の回廊には、体長2メートルほどの巨大な開梛(かいぱん、時を報ずるための魚板)が吊るされている。現在も使用されており、中央に叩かれた跡がある。昼夜目を閉じない魚は不眠不休を表し、「魚のように昼夜の別なく寝る間を惜しんで、日夜修行に励むように」という修行僧への戒めとして、開梆を打つ。