法成寺跡

法成寺は、平安時代中期に藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸(東京極大路の東)に建てられ、京極御堂(みどう)とも称され、道長の異称「御堂殿」「御堂関白」やその子孫御堂流(みどうりゅう)の由来ともなった。

法成寺跡を示す石標

藤原道長(966-1028)

藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」『小右記(しょうゆうき / おうき)』の歌でも知られるように栄華を極めたが、晩年病に苦しみ浄土信仰に傾倒したことから、寛仁3年(1019)出家し、土御門殿に隣接する地に、九体阿弥陀堂の建立を発願(翌年完成) 無量寿院(むりょうじゅいん)と号した。治安2年(1022) 寺号が法成寺と改められた。その後道長は法成寺で暮らし、僧侶たちの読経の中、自身も念仏を口ずさみ、西方浄土を願いながら往生したといわれている。ちょうど御所駐車場から北に上り、現在蘆山寺、マンションが建ち並ぶあたりです。

道長