加藤周一さんは1984年7月から2008年12月の亡くなる半年前の同年7月まで朝日新聞に毎月1回コラム「夕陽妄語」を書き続けた。初めは夕刊に、のちに朝刊に連載され、連載期間は24年。この間休載が3回あり、合計の寄稿回数は285回に及んだ。取り上げれれたテーマは国内、海外の政治、経済、文化などなど、人間の営み全てに及んだ。対象は世の中の出来事、森羅万象。毎回のコラムはコラムの傑作と言えるものだった。いま新聞、雑誌に載るコラムは小学生の作文程度の低レベルの内容で読むに値するコラムはほとんどない。加藤さんの一つの事件、出来事を取り上げ論じるときにはその出来事、事件の過去の類似性と、そのことの将来、未来への影響を論じる。

 

加藤さんが1997年11月19日、78歳のとき、「老年について」というコラムを書いた。このコラムはコラムの傑作、かつ加藤さんのコラムの傑作と言えるだろう。

 

 


 

 『老子図』を見た後で、私は『桧垣』の老女を想い出し、老いとは何かを考えた。もちろんそれは心身の衰えである。眼がかすみ、耳が遠くなり、脚がおそくなる。物覚えが悪くなり、喜怒哀楽の情がうすく、注意の持続も短くなる。いわゆる「枯淡」は衰えの美称に過ぎず、「老成円熟」は積年の習慣の言い換えにすぎないだろう。しかしこの世の中に、なすべきことはあり余るほどあり、なし得ることが少なくなっても、個人がその小部分に係るにすぎないと言う状況は、老若男女において変わりがない。昔も今も、憂うべきものは多く、憎むべきものは多い。知的好奇心の対象に限りがないことは、いうまでもない。しかるに現実に愛し、憎み、知るものが、涯のない世界の、極めて小さな部分にすぎないということは、老いの至るに及んでも、全く変わらない。人生の朝と夕暮に本質的なちがいはないように思われる。

 本質的なちがいがあるとすれば、それは青年の後には老年が来るのに対し、老年の後には死が来るということだけだろう。