2017年10月8日、10・8山﨑博昭プロジェクトの主催により、「羽田闘争50周年―山﨑博昭追悼―」集会を東京・四谷の主婦会館で開かれた。参加者は約220人だった。山﨑博昭プロジェクトの発起人に山本義隆元東大全共闘議長が名を連ねているので、私はこの集会に参加した。山本氏は山崎氏と大阪府大手前高校の同窓での先輩だ。集会での山本氏の講演だ。山本氏は学生運動に加わっていなかったらノーベル賞の学者になっていただろうと言われる秀才だ。今年77歳。

 

右は山本氏、左は私

 

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まず初めに、今回の展示会に対して、ホーチミン市の戦争証跡博物館はわれわれを最大の厚意で歓迎してくれました。博物館の館長は10月1日で定年なんですけれども、10月2日にその館長から連絡がありました。展示会の予定は10月20日までだったのを11月15日まで延長させて欲しい、という申し出でした。もちろん、われわれは喜んで同意しました。


 この展示会のために、私たちは300点の資料を送りました。ところが直前になって、向こうから70数点しか展示できないと言ってきて、担当者が向こうに行って交渉しました。事情の一つはスペースの関係、もう一つは私たちが初めにベトナム側に出した目録(東京・根津で展示したもの)で人民委員会の許可を取ったので、それ以外は展示できないということでした。交渉の結果、壁面に展示できたのは約80点、そのほかにヘルメットや旗など現物展示、ドキュメント映画「怒りをうたえ」の放映、その他の資料はコピーしてクリアファイルに入れて、卓上で見られるようにした。そういうことで、私たちが準備したかなりの部分を展示することができました。そのことを除いて、博物館側のわれわれに対す対応は、最大限の厚意でやっていただいたと思います。

 セレモニーの映像がありましたが、セレモニーでは私が挨拶して、佐々木君が詩の朗読をして、山﨑建夫さんが記念品の贈呈とテープカットをやりました。


 オープニングセレモニーは、われわれの展示だけではなくて、越日友好協会25周年記念のセレモニーだった訳ですけれども、圧倒的にわれわれのためにやってもらったような感じになりました。
 昼食会の後、かつて南ベトナム政府に弾圧されたという男性と女性の方との懇談会も用意していただきました。はっきり言って、至れり尽くせりだった訳です。


 最後の日に、私たちは館長にお礼に行きました。館長は非常に喜んでおられ、われわれの展示会のことが地元の新聞10紙に載っていたと見せてもらいました。

 

 今後のことは明確ではありませんが、館長からは、常設展示で残してもらいたいものを選んでくれと言われました。それから、今後、この展示会をベトナム国内で巡回できないか、という提案までしていただきました。そこまで好意的にしていただいたことを皆さんにお知らせしたいと思います。

 準備過程では多くの方に支えられました。ベトナム展示の話が具体的になって、まず国内で展示会をやろうではないかということで、東京と京都でやりました。駿台予備校の日本史科の諸君と『60年代研究会』というのを組織しまして、60年代の日本の反戦闘争をしておられた何人かの方に話を聴きにいきました。


 砂川闘争、相模原闘争、大泉の闘争、それからジャテックの闘争の関係者にお会いして、資料も貸していただき、譲り受けてきました。非常にお世話になっています。


 去年6月に、上野の谷中で展示会をやりました。僕が展示会をやろうと言いましたが、その時はできないだろうと思っていました。なぜなら金がないからです。でも、谷中の展示会は画廊のオーナーの厚意で完全に無料でやらせていただきました。普通は、ギャラリーを借りたら1日10万円、1週間で最低70万円かかります。


 その後、京都精華大学でさらに拡大してやることができましたが、それを実現してくださったのは大学の職員の皆さんです。献身的に協力していただいて、京都精華大学で展示会をやることができました。


 その2つの展示会によって、いろいろな方からさらに資料を提供していただいて、それでベトナムの展示会ができたということを、皆さんに知っていただきたいと思います。

 

 ベトナムの展示会ですが、ツアーの全員でツーズー病院平和村という、枯れ葉剤の障害児のリハビリ施設に見学に行きました。衝撃的だったのは『一番若い方は誰ですか』と聞いたら『13ケ月』という答えでした。ということは、ベトナム戦争が終わって40年経っても、まだ被害者が出ているのです。昨日、平和村のニー代表にお話しを伺って「その13ケ月の子のお母さんはベトナム戦争が終わってから生まれたのではないか」と聞いたら「そうなんです」ということでした。そういう人にも被害が出ているという意味では、ベトナム戦争は今でも続いている、と言わざるをえないと思います。

 

 最後にもう一つ。南ベトナム政府に弾圧されていた方との懇談会で、男性の方は十数年間獄中にあって、1973年のパリ協定で解放されて、奇跡的に死刑を免れた方でした。最後の質疑応答でツアーのメンバーが『現在、ドイモイ政策でアメリカ資本が入っているが、そのことについてどう思うか』と聞いたのです。通訳を介してなので答は正直よく分からなかったけれど、最後に『アメリカの兵士も被害者なんだ』と言われたことが印象に残っています。十数年間、アメリカと南ベトナム政府に弾圧されてきたおじいさんが、そう言ったのです。僕はベトナム人の偉さというか、すごさをつくづく思いました。


 今後もベトナムとの関わりはこれで終わらないと思います。今後ともよろしくお願いします。