母子避難を続けるのかどうか。
 今でも、毎日のように悩んでいる。

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――ご主人は、今も郡山市に住まわれているんですよね。

森松 はい。仕事の都合もありますし、一家四人で一緒に暮したくても、当分は難しそうですね。

 

――郡山と大阪との二重生活で、ご苦労されるのはどんなことですか。

森松 夫の暮す家と、私たちの暮す家とで、2軒分の家賃がかかるうえ、水道光熱費なども2軒分なので、生活費の負担は大きいですね。夫が子どもに会いに来る時の往復の交通費もばかになりません。

 

――母子避難による二重生活の原因は、原発事故ですよね。国や東電からの補償はありますか。

森松 郡山市は、国が指定する「避難指示区域」ではありませんから、私たち親子は「自主避難者」とされます。自主避難者の場合、避難費用や、避難生活にかかる費用は補償されません。

 

――経済面以外では、どんなご苦労がありますか。

森松 自主避難者が必ずしもそうであるわけではありませんが、私たち親子は、住民票を移動していません。住民票を大阪に移すと、県民健康調査の通知などが届かなくなるかもしれない。福島県は、事故当時福島県内に住んでいた子どもに関しては、追跡調査をするとしていますが、避難先に住民票を移動した避難者の中には、通知が届いていない方もいるのです。 ですが、もう2年以上、大阪に暮していますし、私も大阪で仕事をしているのに、行政サービスが受けられずに困ることがありますね。

 

――具体的には?

森松 私が働き出した時に、長女の預け先を探していたのですが、住民票が大阪にない、という理由で、保育所の入所手続きすらできなかったんです。郡山と大阪の市役所に掛け合っても、「できません」と言われるばかりで。
  何とか自分で、特別な事情がある場合には、住民票のある自治体以外の保育所に子どもを入所させることができる「広域入所」という制度があることを調べて、入所手続きをしました。
  今年の4月には、長男が小学校に入学しましたが、やはり手続きはスムーズにいきませんでした。
  この時も、郡山と大阪の市役所へ行って事情を説明し、ようやく大阪の小学校への入学が認められました。

 

――総務省は、原発事故の避難者に、避難先自治体へ「避難者登録」をするように勧めていますね。登録をしても、行政サービスなどは受けられないのですか。

森松 避難者登録はもちろんしていますが、実際にはあまり役に立っていませんね。何のための登録なのか、と思うことも多々あります。

 

――ご主人とは、月に何度くらい会えるのですか。

森松 だいたい、3週間に1度くらいですね。夫が子どもの顔を見ずに過ごせるのは、3週間が限界みたいなんです。もっと頻繁に会えればいいんですが、郡山から大阪までの往復交通費や、夫の仕事の都合も考えると、厳しいですね。
  母子避難を始めた時、息子は3歳、娘は0歳でした。2人ともこの3年間で本当に大きくなりました。特に娘は、避難先で歩けるようになり、言葉を話すようになりました。

 

――そういう時期に、父親がお子さんのそばにいられないのは辛いですね。

森松 そうですね。子どもたちも、まだまだ父親に甘えたいだろうに、我慢をさせてしまって……。
  最近、息子は父親との別れ際に、泣くのを我慢するようになりました。ぐっと涙をこらえ、父親の背中を、いつまでもいつまでも見送っているのです。父親と一緒に暮した記憶がないであろう娘も、父親と離れて暮すことのさみしさを理解し始めたのか、父親との別れ際には、私にぎゅっとしがみついて、うつむくようになりました。
  母子避難は、最愛の子どもたちを守るために、夫婦2人で決めたことです。でも、避難生活を始めて3年以上が経った今でも「明日も避難を続けるのか」と悩みます。子どもに辛い思いをさせたくない。子どもの健康を守りたい。二つの思いはいつも私の中で攻めぎ合いますが、親である私は、子どもの健康を選ばないわけにはいかないのです。