原題は1993年11月21日東京大学教養学部の駒場祭における加藤周一講演「学徒出陣五〇年の今」。
いま日本国民がかつて日本を戦争に導いた勢力につながる政党の政権を望み、支持していることが問題なのだと。
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戦争の後に生まれた人というと、今この会場では私をのぞくほとんどすべての人ということになるでしょうか。戦争のあとで生まれた人に戦争の責任があるのか、あるいは戦争犯罪を含めて責任があるのか。私は直接には、まったくないと思います。自分が生まれる前のことをコントロールのしようがない。
責任をとるということに関する近代法の基本的な考え方は、意思の自由が保障されている場合の行動に限るわけです。強制されたときにとった行動に、その人に責任がないというのが、少なくとも近代法系な考えでしょう。鉄砲を突き付けられて「隣の家の鶏を盗め」と言われて、隣の鶏を盗んでも、それは盗んだ人の責任ではい。なぜなら盗まなければ射殺されるかもしれないから。
生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意思、選択の範囲はないのです。したがって、戦後に生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。
しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸々の条件の中で、社会的、経済的、文化的条件の一部は現在も存続している。その存続しているものにたいしては責任がある。もちろんそれに対しては、われわれの年齢のものにも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにも責任はあるんです。なぜならそれは現在の問題だから。( 出典 [戦後世代の戦争責任」 1994年 かもがわブックレット)