5/14~29まで旧東欧(ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、チェコのプラハ、ハンガリーのブダペスト)を訪れた。以下、旅行記をお届けする。



フンボルト大学から歩いて10分もすれば博物館の島だ。ここには5つの博物館が集まっている。最も訪れる値打ちがあるのはペルガモン博物館。博物館の名前はトルコのペルガモンから発掘されたゼウスの大祭壇(紀元前180~159)がそのまま移設されているからだ。これだけの大理石の建造物、彫刻をトルコからドイツに運んできたのかと考えるだけでも驚きだ。所蔵品は中近東、バビロニン遺跡、楔形文字の遺跡など。その素晴らしさに圧倒される。日本では絶対に見ることができない遺跡、彫刻だ。




 横浜・青葉台暮らし-BERUGAMON   横浜・青葉台暮らし-BERUGAMON

    ペルガモンのゼウスの大祭壇                  バビロニアのイシュタール門行列の通り
   
 

バスと電車を乗り継ぎオスト駅に向かう。ベルリンがベルリンの壁で東西に分断されていたこと示す足跡はだんだん消えつつある。いまベルリンは恐るべき勢いで都市再開発が進めれていてあちこちで建物建設、インフラ工事のクレーンが目につく。分断の事実は足跡、記憶からも急速に消えつつあるだろう。ベルリンのオスト駅前のシュプレー川沿いの約1.3kmのベルリンの壁が保存さされ、壁に壁画が描かれ屋外のイーストサイドギャラリーとなっている。高さ4M近くの壁が21961~1989年まで28年間続いた。東ベルリン市民にとってこの壁は永久に続くと思えたのだろう。壁を乗り越えて東から西に脱出しようとして射殺され命を落とした東ベルリン市民は192人に及んだ。




 横浜・青葉台暮らし-KABE  横浜・青葉台暮らし-KABE

オスト駅を降り駅前の交差点の向かいにベルリンの壁だ。    一番有名は壁画。ソ連・ブレジネフ書記長と東ドイツ
                                       のホーネッカー第一職がキスをしている壁画。



ベルリンの壁によりベルリンが東西に分断されていた時代に、東西ベルリンを通行できる検問所が3か所向けられた。そのう内の1つでチャーリーチェックポイントだ。いまもチャーリーーチェックポイントだけが当時のままに残る。ここはベルリンの壁崩壊までアメリカ軍の管理下にあった。このチャーリーチェックポイントは東西冷戦時代に書かれたスパイ小説にたびたび登場する。東西の冷戦時代をテーマにしたスパイ小説はベルリンの壁崩壊後、東西ドイツの統一後には消えていった。グラアム・グリーン、ブライアン・フリーマントル、イワン・フレミング、ジョン・ル・カレなどが優れたスパイ小説を書いた。



 横浜・青葉台暮らし-CHARI-  横浜・青葉台暮らし-CHARI-

東ベルリン側から見たチャーリーチェックポイント。           西ベルリン側から見たチャーリーチェックポイント。

検問所のアメリカ国旗と軍服の兵士は観光用の見世物。



プラハの国立マリオネット劇場に続く今回の旅行では2つめの夜のエンターテインメント。ベルリンフイルハーモニーのコンサートを聴きにゆく。私は音楽は苦手だが、家内は音楽好きだ。ベルリンフイルハーモニ―は本拠地ベルリンに自前のコンサートホールを持っている。演奏は8時から始まり途中の休憩をはさみ10時まで2曲の演奏だ。この日は客員指揮者ベルト・ブロムシュテット・Herbert Blomstedt を招き、曲目はLudwig van Beethoven作曲の交響曲第4番とCarl Nielsen作曲の交響曲第5番。ほぼ満席だ。日本人とみられる観客があちこちにいる。ベルリンでベルリンフイルハーモニーのコンサートに行ったことは家内にとっていい思い出になるだろう。




 横浜・青葉台暮らし-BERLINPHIL  横浜・青葉台暮らし-BERLINPHIL

  ベルリンフイルハーモニ―の自前のホール               このコンサートホールのステージはアリーナ型に
                                          なっていて観客が周りを取り囲む