5/14~29まで旧東欧(ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、チェコのプラハ、ハンガリーのブダペスト)を訪れた。以下、旅行記をお届けする。




ベルリンに6泊する。1日目は着いた日で寝るだけ。2日目はポツダムへの日帰り旅行。3日目はベルリン市内見物/ベルリンフイルハーモニ―のコンサート。4日目はライプチッヒへの日帰り旅行、5日目はドレスデンへの日帰り旅行、6日目はリューベナウへの日帰り旅行、7日目はチェックアウトして帰国だ。



  横浜・青葉台暮らし-POTSUDAM   横浜・青葉台暮らし-POTSDAM

   近代的なポツダム中央駅の駅舎                  サン・スーシー宮殿を庭から眺める


ポツダムへはSバーン(地下鉄)Uバーン(郊外電車)を乗り継いで約40分。ポツダム中央駅は近代的な建物で、また大きな駅だ。駅前で1日市内乗り放題のチケットを買い、まずサンスーシー宮殿を目指す。停留所を降りて入場券売り場まで歩くとすでに20人近くが並んでいる。ようやく順番が回ってきた。宮殿の見物は時間制で、人数制限を設けている。順番が来たのは9時半すぎだったが、見物ができるのはは12時半の組だとうい。3時間待ち。ガイドブックには待ち時間は庭を見て過ごせと書いてあった。ここで3時間待ちとしたら、次の目的地、ツーツイエリエンホフ宮殿の見物時間がきつくなるのでサンスーシー宮殿の見物は諦める。無料の庭を一巡りしてブランデンブルグ通りに向かう。ブランデンブルグ門から続く長さ1KM弱のブランデンブルグ通りの両側には土産物屋、ブテイック、レストランなどシヤレタ、きれいな店が並ぶ。ここはポツダムで1番の繁華街だ。途中のレストランで昼食を食べる。歩いてすぐの、オランダ人街をに向かう。



  横浜・青葉台暮らし-POTUDAM  横浜・青葉台暮らし-POTSUDAM

   ツーツイリエンホフ宮殿の正面入り口              メインホールの会議場
       


オランダ人街からバスに乗りツーツィエリエンホフ宮殿を目指す。ナチス・ドイツ降伏直後の1945年7月17日~8月2日まで、ドイツ・ベルリンの近郊都市ポツダムのツーツィーリエンホフ宮殿にアメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長が集まった。ここで日本への降伏勧告であるポツダム宣言がまとめられた。戦後の日本の運命がここで決まった。私は68年後の今年2013年5月23日に会談が開かれたこの地を訪れた。





  横浜・青葉台暮らし-POTSDAM   横浜・青葉台暮らし-POTDAM

   会議場に飾ってある当時の写真                  会議場から眺める景色。木の奥、遠くに湖が見える。



ツーツィエリエンホフ宮殿正門の前は一方通行の小さい小道だ。森に囲まれたれた庭の中に宮殿はある。いつも感じるのだが、ドイツの街は森の中にあるように感じる。入場券を買って入ると、日本語の音声ガイドが入場料に含まれていた。見物出来るのはポツダム会談が開かれたメインホールとアメリカ、イギリス、ソ連の控え室など。どういうわけかソ連が一番いい部屋を占めていた。会議場となったメインーホールの壁には当時の会議の様子を写した写真が何枚も飾ってあった。写真の背景にある木の格子模様の壁と今見ている木の格子模様の壁が一致する。間違いなくここで会議が開かれたことを実感する。彼らもここに来たのだ。そしてこの景色を見て、ここの空気を吸った。会議場の広い窓からは、遠くに湖が広がっていた。ポツダムは多くの湖が点在する湖の街だ。薄暗い室内の見物を終わって外に出たら、青空が広がっていた。私は68年前の世界から、今の世界、現実の世界に戻った。





  横浜・青葉台暮らし-POTSDAM   横浜・青葉台暮らし-POTSUDAM

   ツーツイエリンホフ宮殿の玄関。4本の煙突は右側に、      裏庭、湖側からみたツイーツリエンホフ宮殿の全景。

  右写真の裏から見ると左側に見える。                  正面三角屋根の部屋がメインホール・会議場となった