5/14~29まで旧東欧(ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、チェコのプラハ、ハンガリーのブダペスト)を訪れた。以下、旅行記をお届けする。



 ブダペストープラハ、プラハーベルリンの列車の乗車券は現地で買う。5月19日のブダペストープラハ EC274 13:25/20:21 のファーストクラスが乗車券(特急券こみ) 二人で70ユーロだった。

一方、この後にプラハで買った 5月22日 プラハーベルリン EC172 14:29/19:15 のファーストクラスが二人で193.8ユーロ、座席指定料金が6ユーロだった。

一人分だとブダペストープラハ間は7時間で35ユーロ(約4千円)、プラハーベルリン間は5時間で99.9ユーロ(約1万3千円)、この価格差は何だろう。前者はハンガリー国鉄の車両、後者はオーストリア始発のオーストリア国鉄(ABB)の車両だった。いずれにしろ日本のJR新幹線のぼったくり料金よりは安いが。



  横浜・青葉台暮らし-shasou   横浜・青葉台暮らし-shasou

   ブダペストープラハ間の車窓風景。ジャガイモ畑。       同。 麦畑と菜の花畑
   


 この日は快晴。着いた日の翌日にくさり橋、旧市街の見に行っが曇り、時々小雨の天気だった。晴天のくさり橋をまた訪れる。ブダペスト4日目で地下鉄は不自由なく乗りこなせるようになった。国会議事堂駅に近い駅に降り、ドナウ川沿いにくさり橋まで歩く。この日は日曜日で観光客の姿は少ない。ヨーロッパで日曜日は商店は原則として閉店するので買い物はできない。また商店街は閑散をとしている。2回目に訪れるくさり橋。改めて感激。この橋は1849年に完成し、第2次世界大戦、社会主義の激動の時代を見続けてきた。そして旧市街を通り、昼前にホテルに戻る。



 チェックアウトの後に、ロビーで列車の時間調整をしているとオーストラリアから来た婦人に話しかけられる。ハンガリー人の父親とドイツ人の母親をもつと。父親がハンガリーの軍人だったので、旧東欧の崩壊前には父の祖国を訪ねることはできなかった。今回初めて父親の生まれた国を訪ねたと。私が第2次世界大戦について聞いたら、一族の多くはオーストラリア、ニュージーランドに逃がれていると。2度と戦争は厭だと。戦争が民族の運命を変え、また多くの家族の運命を変えた。戦争で懲りずに、反省していないのは日本民族、日本人だけだろう。



  横浜・青葉台暮らし-kusari   横浜・青葉台暮らし-kusari

    くさり橋から眺める王宮                     くさり橋から眺める王宮の丘
  


  1時過ぎにブダペスト中央駅に着く。にホームに着いて13.25ていた、プラハまで7時間。来る時は夜行列車だったので、車窓の景色を眺めることはできなった。今回はハンガリー、チェコの平原地帯、穀物地帯を車窓から見る。車窓には駅が近づくと家々の建つ街並みが開け、そのほかは麦とジャガイモの畑が現れては消える。日本ではなくなった列車の食堂車で夕食を食べる。飲み収めのハンガリービールを飲む。陽がたっぷりと暮れてから、夜の9時過ぎに小雨降るプラハ本駅に到着する。今夜泊まるホテルは駅前の歩いて5分のところだ。



  横浜・青葉台暮らし-shokuodu   横浜・青葉台暮らし-shokudou

    食堂車のハンガリービールに満悦の顔       清潔で、おいしく値段も手ごろなハンガリー国鉄の食堂車