1) 東ヨーロッパ、東欧とは何か? 東欧には政治的な概念と同時に地理的な概念がある。 政治的には西ヨーロッパ、西欧とソ連に挟まれたかつて社会主義の国々。1989年の東欧革命前には北から、ルト3国、ポーランド、東ドイツ、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの国々が弧を描いて、三日月型に並んで社会主義国を形成していた。当時の東西冷戦時代にはソ連と西欧諸国に挟まれた国々。ソ連の衛星国とも呼ばれた。989年の東欧革命でこれらの諸国は社会主義を放棄し、東ドイツは西ドイツに吸収される形で東西のドイツが統一され、チェコスロバキアはチェコとスロバキアの2か国に分れた。いまは社会主義の東欧の国々は無い。旧東欧とはかつて社会主義国だったヨーロッパの国々と言う意味だ。 從い5月に行く旅行を旧東欧への旅としたのはドイツのかつての社会主義国であった旧東ドイツとチェコ、ハンガリーを訪れると言うことだ。ドイツで訪れるのはベルリン(旧東西ベルリン含む)、旧東独のドレスデン、ライプチッヒ、ポツダム。




横浜・青葉台暮らし-kareru
チェコ・プラハのモルダウ川にかかるカレル橋


2) 私が訪れた社会主義国だ。

ポーランド: 訪れたのは30年以上も前のこと、私が訪れた社会主義政権が崩壊する前の唯一の東ヨーロッパの国だ。当時、ワルシャワへの西ヨーロッパ諸国との唯一の窓口であるオーストリアのウイーンから入り、ここに出た。

アルジェリア: 訪れたのは30年以上も前のこと。国の正式名称をアルジェリア民主人民共和国というので、事実上の社会主義体制の国だ。

北朝鮮: 北京に駐在中の1990年代の初めに、北京から旅行で訪れた。

キューバ: ここも訪れたのは30年以上も前のこと。首都のハバナへはメキシコのキシコシテイーから入りカナダのトロントに抜けた。

中国: 1991年のソ連の崩壊後も唯一残っている社会主義の大国。初めて訪れたのは1975年だ。北京駐在4年、上海駐在4年を含め、40年近く中国の変化を見てきた。マレーシアのペナン駐在の4年間を除いて中国を一度も訪れなかった年はない。今年も2月、中国に出張した。




横浜・青葉台暮らし-puraha
1968年8月にはソ連の戦車が埋め尽くしたプラハのバーツラフ広場


3) 旧東欧が崩壊してからすでに24年経つ。これらの国々にとり社会主義時代はますま遠い過去になりつつあるだろう。いま旧東欧を見ておかなければという焦り、思いはある。私に旧東欧への思いを募らせた本が3冊ある。1冊目は犬養智子「ヨーロッパの心」(岩波新書)。中の「すすり泣くヨーロッパーーーチェコスロバキア」は1988年に書かれた。筆者がミュンヘンからチューリッヒに行く列車のコンパートメントで一緒にななったチェコの婦人との対話を載せる。2冊目は笹本駿二「ベルリンの壁 崩れる」(岩波新書)。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツ統一後の新秩序、新体制を模索中の1990年に緊急出版された。



横浜・青葉台暮らし-kusari
ハンガリー・ブダペストのドナウ河にかかるくさり橋



4) 3冊目は加藤周一「言葉と戦車」(筑摩書房)。加藤さんは1968年8月にザルツブルグ音楽祭を聞くためザルツブルグに滞在していた。8月21日の早朝、ホテルの朝食を食べにレストランに行き、ソ連のチェコスロバキアへの武力侵入を知らされる。加藤さんは音楽祭を取りやめ、すぐにウイーンに戻りチェコ侵入事件の情報をあつめる。加藤さんはこの1か月前に車でチェコスロバキアを一周していた。加藤さんはウイーで見聞きした情報をもとに「言葉と戦車」というチェコ事件の背景を分析した名論文を月刊綜合雑誌「展望」(現在、廃刊}に書いた。加藤さんは後年、「東欧は時期は予測できなかったが、いずれ崩壊するとは考えていた、しかしソ連の崩壊は予測できなかった」と述べている。加藤さんが訪れてから45年後に、社会主義が崩壊してから24年後に、私は今年の5月初めてチェコを訪れる。