私は2年ほど前から一人一票実現国民会議の運営委員をしている。この会議の代表は升永英俊、久保利英明、伊藤真の3弁護士だ。私は渋谷の伊藤塾会議室で毎月1回開かれる運営委員会で3人と顔を合わせる。そこで知りえた升永弁護士、久保利弁護士の印象について私はすでにこのブログで書いた。今回は伊藤弁護士(伊藤塾塾長、以下 伊藤さん)について書く。


  今年の5月3日の憲法記念日の東京新聞第1面に伊藤さんの記事が載った。記事中にある伊藤さんの2つの発言を取り上げ私の感想を述べることにする。




横浜・青葉台暮らし-TOUKYOUKOUSAI
左から伊藤真、升永英俊、久保利英明の各弁護士



 伊藤さんの言葉(1) 「憲法は一人一人が自分の権利を主張するのを認めている。被災者がそれぞれ違う権利を主張するのはわがままではない。みんなと違うことを言うのを申し訳ないと感じるのは、間違いです。」


  昨年の3月11日の東日本大震災による被災者と続く東電福島第1原発の事故による避難者は今も不便な生活を強いられている。被災者、避難者(以下、彼らという)に対する政府、自治体の支援、援助は必ずしも十分とは言えないだろう。しかし彼らの多くは行政に意見、不満が有っても表だっていうことを控えている。その理由の1つめに自分より援助、支援に恵まれていない被災者、避難者もいるので、文句を言うのは申し訳けないと言う心理があるだろう。2つめは行政に文句、不満をいうことで行政から嫌がらせ、仕返しをされることを恐れているのだろう。日本では行政に意見をいうことで、状況が改善されずに返って行政から仕返しを受けて状況が悪化する場合があるからだ。


  現在の日本企業の競争力低下はもはや企業努力で取り戻せず、原因は自民党時代からの政府の経済、産業政策の失敗と官僚の無能さにあるだろう。しかし企業経営者は政府、官僚を批判せずに、競争力の低下は国内の労働賃金が高いからだと労働者に責任を押しつけている。彼らは政府、官僚を批判することで嫌がらせ、仕返しをされることを恐れているのだ。わが国には昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言う諺がある。伊藤さんは被災者が行政に意見を言うのは権利であると言い、同時に行政には彼らの意見にはきちんと耳を傾けなさいと言っているのだ。



  伊藤さんの言葉(2) 「その観点からみると原発は憲法違反だと考えます。放射能の危険にさらされないで生きたいとう人権を、憲法は保障しています。」



  いま日本では原発推進勢力(政府、官僚、財界、マスコミ、御用学者など原発を推進することで利権、権益を享受している集団のこと)は原発を再稼働、推進しようと躍起になっている。しかし、彼らが今まで言ってきた原発は安全という論理、理屈は昨年の3月11日からの1週間で破たんした。東電福島原発の事故について政府、東電は嘘と情報隠しを繰り返してきた。政府、電力会社は40年以上にわたり嘘と情報隠しを繰り返して原発を作り続けてきた。国民は彼らの言うことをもはや聴かず、信用もしなくなった。彼らは原発推進の論理、理屈をもはや国民に説得、説明しきれないと悟った。そこで彼らは話し合いと説得を諦め、力づくで原発を再稼働、推進しようとしている。


  原発推進勢力は原発に反対する勢力をいまままで苛酷なまでに排除したり、懐柔したりしてきた。これからも原発に反対する学者、評論家を干しあげていくだろう。財界、学者の中には個人としては原発反対の考えを持っている人もいるだろう。しかし日本では組織の一員としての立場を考えると個人の意見をいうことを憚られることがある。原発推進勢力の原発反対勢力に対す執拗な仕打ち、攻撃を見れば、普通の人間なら原発反対の声を上げるのをためらうであろう。加藤周一(1919~2008)さんは「日本社会では組織による目に見えぬ圧力が強い。組織に属する間は個人の意見をいうことはできない」と言った。その通りだと思う。このような日本で社会的に地位が高く、影響力の強い人が原発を批判し、反対するには大きな勇気が必要となるだろう。私は伊藤さんの意見に同意し、勇気に敬意を表する。私は定年退職し、生活の糧を得る組織に属していないので、組織の目に見えぬ圧力に怯えることはない。



  正義はどちらにあるのだろうか。私は一人一票実現国民会議で升永英俊、久保利英明、伊藤真という正義が私と一致する弁護士と出逢った。他方において政府の原発推進勢力の中心は仙石由人、枝野幸男の2人の弁護士と言われている。枝野氏は官房長官として嘘と情報隠しの記者会見を繰り返した。仙石氏は「原発が全部停止なら集団自殺するようなことになる」と言ったと伝えられる。(2012年4月16日づけ産経新聞。後に発言を撤回したと言われるが)。 枝野氏と仙石氏にとっては原発推進が正義で、伊藤さんにとっては原発廃止が正義だ。どちらの側の弁護士も自己の信ずる正義があるだろう。私の考える正義は伊藤さんの考えておられるであろう正義と一致する。私は仙谷氏、枝野氏と立場、考えを異にするが批判し、非難することはしない。弁護士も人間だから、志が低く、権力に擦り寄る弁護士がいることも当然と考えるからだ。そこで、私はいずれ正義があちら側では無く、こちら側に有ることが証明される日の来ることを願う。



横浜・青葉台暮らし-ITOUMAKOTO
5月3日東京新聞の一面の伊藤真弁護士の記事。