1) 評論家・加藤周一(1919~2008)さんの 「常識と非常識」(かもがわ出版)の中の一節だ。加藤さんが2003年、83歳の時に書いた文章だ。



***********************************

  シヤンソン歌手の石井好子さんが語っていた。地雷で片足を失ったカンボジアの少年が「希望はと聞かれ、「もう一方の足を失わないこと」と答え、石井さんは胸を突かれたというくだりがあった。私も衝撃を受けて、しばらく先を読めなかった。

  戦争は犠牲者に老若男女を選ばない。自業自得の大人はともかく、何の責任もない子どもたちの未来と可能性を、戦争は有無を言わせず根絶やしする。「子供を救うのに国籍は関係ない」という石井さんの救援活動を、私は全面的に支持する。

  孔子の生命観を伝えるこんなエピソードがある、酷使され、息絶え絶えの馬を目にした孔子が、弟子に「あの馬を買い取り、救いなさい」ち命じる。弟子は「この国には何十万もの馬がいます。なぜあの馬だけを助けるのですか」と聞く。孔子は答えた。

  「この馬が私の目の前にいるからだ」

  石井さんと孔子の逸話は、人の行動の基本は「知的反応」でなく「感情的反応」あると教えている。


***********************************



横浜・青葉台暮らし-tsukino
松ぼっくりのツイッター添付写真から。月乃ちゃんは今年の桜を見ることなく亡くなった。
松ぼっくりのツイッターは→にアクセスしてください、 https://twitter.com/#!/2kinon



2) 私は加藤さんの意見に同意する。私はたまたま松ぼっくりのツイッターで月乃ちゃんの病のことを知った。小児脳幹グリオーマにおかされた子供は沢山いるだろうが、私はその子供たちを知らない。私はツイッターで月乃ちゃんという4歳の子が小児脳幹グリオーマであることを知ったので、月乃ちゃんの回復を願い、祈った。


3) いま、松ぼっくりのプロファイルはこう書かれている。


松ぼっくり

@2kinonあなたをフォロー中。

小児びまん性脳幹グリオーマⅣ。2011/10/24入院。翌年4月5日わずか半年でこの世を去りました。笑顔と松ぼっくりを残して。。。娘が亡くなる10日前には母が他界。 12月25日には意識が無い月乃に笑顔が。。


4) 私がなぜ松ぼっくりをフォローするのか。それは「人は何のために生きるか」、「人生とは何か」、「命とは何か」について知りたいからだ。月乃ちゃんの両親の気持を思うと心が痛む。月乃ちゃんが亡くなったのは私にはとても悲しいことだ。しかし、私は病と闘う月乃ちゃんから「励まされた」とか「勇気をもらった」などという陳腐なありきたりな言葉を並べるつもりはない。私は他人の悲しみや不幸は当事者にしかわからないと考えるからだ。


5) 私はサラリーマン時代に会社の付き合いで多くの葬儀、告別式に出た。出世してえらくなり亡くなった人の社葬にも出たことがある。しかし、私は仕事関係で参列した葬儀て悲しいと感じたことは一度も無かった。多くの人は義理と仕事の付き合いによる利害打算で葬儀に参列しているからだ。私は知り合いの人間の死に悲しみを感じないこともあるが、見知らぬ人間の死に悲しみを覚え、涙することがある。


6) 私の反応はまず「感情的反応」から入り、次に「知的反応」に向かう。なぜ彼女が4歳で亡くならなければならなかったのか。今の医学はこの病になぜこれほど無力なのか。世界、日本でこの病に対する研究がなぜ進んでいないのか。私は今の医学界の現状に憤りを感じる。しかし、私は医者ではない。そこで私は生きることの意味を探ろうと考えた。私はローマの哲学者の本を読んだ。キケロー「老年について」、マルクス・アウレリウス「自省録」、セネカ「生の短さについて」。しかし彼女が4歳で亡くなったことについて、私を納得させる答え、説明を見出すことはできなかった。



横浜・青葉台暮らし-TSUKINON
松ぼっくりのツイッター添付写真から。