2003年10月末、日本の新聞に小さな死亡記事が出た「10月23日に宋美齢、蒋介石夫人、ニューヨークで死去。享年106歳」。.宋美齢は「一人は金を愛し、一人は国を愛し、一人は権力を愛した」と言われる宋家三姉妹の三女である


 宋家三姉妹の父は宋嘉樹といい、三男三女の子に恵まれた。宋嘉樹は海南島の貧しい家に生まれ、アメリカに移民するもキリス教信者となり帰国する。帰国後に牧師として宣教する傍ら事業を起し成功して財をなす。その財により孫文の革命を財政的に支援した。今年は清朝が倒れ1911年の辛亥革命から百年目にあたる。その三姉妹は後にそれぞれが清朝の滅亡、中華民国の成立、分裂、中華人民共和国の成立と近代中国の歴史の中で重要な役割を果たした。そのため一族は宋王朝ともいわれる。



映画「宋家王朝」で父・宋嘉樹が亡くなる病床に三姉妹が集うシーンです。


http://www.youtube.com/watch?v=xMsW7w5G_Ig&feature=related




 長女・宋靄齢は金を愛した。1889年生まれ。孔祥煕と結婚する。孔祥煕と宋嘉樹の長男の宋子文はともに中華民国政府の財政部長を務めた。1937年からの日中戦争に際しては三姉妹が協力し抗日運動に加わる。日本敗戦後に再度始まった国共内戦中の1947年に米国に渡る。1973年に米国で亡くなる。

 

 次女・宋慶齢は国を愛した。1893年生まれ、米国への留学後に中国に戻り父・宋嘉樹が支援していた中華民国建国の父・孫文の秘書となった。その後、既婚者であった孫文と深い仲になり、1915年(諸説あり)に孫文と結婚した。孫文は1925年に「革命いまだ成らず」との言葉を残し亡くなる。宋慶齢は孫文の死後、国民党と共産党との協力(国共合作)や反日統一戦線の樹立に尽くす1949年の中華人民共和国成立後は中央政府副主席に就任する。1950年には中国福利会の主席に就任。1981年に死去するが翌年には彼女を記念した慈善事業団体の宋慶齢基金会が設立される。宋慶齢は今の中国で最も慕われ、尊敬される女性の一人となる。

 三女・宋美齢は権力を愛した。宋美齢1897年生まれ(諸説あり)。上記の新聞記事のとおり2003年に106歳で亡くなった。宋美齢は米国に留学後、1927年に蒋介石と結婚し、中華民国の繁栄を願うも共産党政権との内戦に敗れ、台湾に渡り、1975年に蒋介石が死去後、米国に渡った。米国・ニューヨークの邸宅にお手伝いとひっそりと住んだ。近代中国の歴史の証人として、多くのマスコミが会見、インタビユーを申し込むがすべて拒否し、何も語らず106歳の生涯を終えた。


 1918年に父・宋嘉樹が亡くなるときには家族全員が病床の枕元に集った。抗日戦争中は三姉妹が会い、協力し助けあった。しかし、宋靄齢が1947年に米国に渡ってから、宋慶齢は中国に留まり、宋美齢は1949年に蒋介石とともに台湾に逃れた、三姉妹が揃い会うことは無かった。

 歴史は三姉妹に過酷な運命を用意した。三姉妹の人生は中国の近現代史そのものだ。しかし、三姉妹の運命、人生も歴史に翻弄された多くの中国の家族の一例に過ぎないだろう。近代中国の歴史は欧米、日本から侵略され続けた歴史であるということを忘れてはならない。


横浜・青葉台暮らし-宗家三姉妹
左から靄齢、美齢、慶齢