私は小学生になっていた。この頃もあまり記憶がない・・


新鮮に憶えてるのはひとつの光景。


ある日、父、母、親戚が集まってなにやら普通じゃない様子


テーブルの上に紙切れを1枚置いて、みんな沈黙してる。


そして母が言った。


お父さんとお母さんは一緒には暮らせなくなったの・・・


あなたはパパとママとどっちと暮らす???


私は事の重大さをわかってなかった。


いつも、母は怒ってばかりで父はとても優しく私をかばってくれた


そんなイメージでしか見えてなかった私は言ってしまった・・


「お父さんと暮らす!!」


この時、その言葉がどんな事を意味しているのか


母はどんな気持ちだったのか・・なんて分かるはずなんてなかった


この時、6歳の冬。


その後の話し合いで兄弟をバラバラには出来ないって事で


弟も私と一緒に父と暮らすことが決まった。


実際に、母と別れた日の記憶はない・・・


子供達を手放す日、母はどんなだったのだろう・・・・


せめてこの日の記憶があれば今、母に対する想いも違っただろう


この頃の事は、今じや誰も語りたがらない・・


全ては闇の中に葬られたままだ・・・・・


今だから言えること、あの日、私が父を選んだ日


無理やりにでも母の元に引き止めて欲しかった


何も分からない6歳の少女に選択をさせるなんて・・・・


あの日の私の一言で、たくさんの人が


たくさんの涙を流す事になってしまった


私は、あの一言で、地獄への扉を開いてしまった・・・・

幼稚園の年長の夏、母のお腹は大きくなって


秋には弟が生まれた。


当時に記憶を辿ると私は素直には喜んでなかったと思う


今までみんなが私の事ばかり見ててくれたのに


その全ての視線が弟に注がれる・・・・


兄弟2人きりで居るときは可愛く思えたけど、弟を可愛がる


誰かがそばに居るときは憎かったりもした・・・・


とっても複雑な心境だった・・・・


弟が生まれる頃、父はトラックから転落して足を骨折したらしく入院していた。


ベッドの上で弟の名前を一生懸命に考えてる姿を思い出す


そして命名させたのは『健一』健康一番で居て欲しいという願いがあっての名前だったのだろう。


皮肉にもこの父が後に弟の健康を奪う事になる・・・・・。


この頃は4人家族になってこれからって時だったのに幸せは長くはつづかなかった。


家族が水入らずで居られた時間なのに、もっと思い出が欲しかった


家族での楽しい思い出なんて私の記憶にはないから・・・


父は仕事が忙しく日曜参観、運動会にすら見に来れる状況ではなかった。


そんな時はいつもおじいちゃんが来てくれた。


私はおじいちゃん、おばあちゃんっ子で大好きだったけどこの時は


嫌だった。お友達の所は、若くて走るのも早いパパなのに


なんで私にはチビっこくて白髪のビリになっちゃうおじいちゃんなの?って思ってた。


周りの人の誰もいかなくて寂しい思いをしないようにとの配慮なのに


私はわがままを言って困らせたりしていた。


でも、おじいちゃんは大好きだった。


やっぱりこの時代は、幸せだったのかもしれない


おじいちゃんとおばあちゃんが居てくれたから・・・・・・


ここからの話は私が大きくなってから母に聞いた話です。


高校に進学しなかった母は 10代で父と知り合ったらしい


どこで知り合ったかは謎。


整備士をしていると言った少年は車に乗って母を迎えに来ては デート??してた。


そんな2人の事を日記に綴っていた母。


そこへ最近 帰りが遅くなったと心配した母の父(私にしたら祖父)がその日記を見てしまったらしい。


このときすでに母は私を身ごもっていた。


「生理がこない・・・・」 この文字を見つけた祖父は激怒し


外を歩けないようにと母の自慢の長かった髪をばっさり切ってしまったとか・・・・


そして祖父に呼び出された父。


両親を前に正座で


祖父「なまえは??」


父「○○です」


祖父「年は?」


父「17才です」


母「ええ~~~~????」


てな感じで 父は母に年をごまかしていたらしいのです。


本当は17で車の免許すら持っていなかったと・・・・・


田舎を家出同然で飛び出して来たと・・・・


年下嫌いの母は悩んだらしいが


父がお腹の子供は生むと がんとして譲らなかったとか・・・・


母はこの時 正直言って まだ若いし産むのはちょっと・・・・って


思ったって。


そんなことを大きくなったとは言え 母親に聞かされる私の立場は???


まっ 父の人柄が認められたのか 祖父も結婚を許してくれ


父の18才の誕生日を向かえ めでたく結婚。



今から30数年前 父親18才 母親20才の当時にしたら珍しい若い親の元に私は生まれました。


でも、父親はよく働き、母親も子供の誕生を喜んだ

親戚中も初めての女の子って事で可愛がってくれた。

まだ、若い叔父達に色んなとこに連れて行ってもらったりもした。

我が家はとても母親の兄弟達、仲が良い。だから、必然と従兄弟達とも

いつも一緒の状態だった。

今、思うと、この頃が一番幸せな時だったのではないだろうか・・・

私の記憶があるのは幼稚園の頃から・・・・・・

当時、北郷に住んでた私たち家族。そこから母方の実家の近くの幼稚園に通ってた。

母はいつも祖母の家に居たので園バスは祖母のうちで降りるのが日課になっていた。

夕方になると叔父たち誰か彼かが家まで送ってくれていた。

そんなある日、母が「今日はまっすぐ家までバスに乗っておいで」と言った

母は、結構、ヒステリーなところがあって、いつも怒ってばかりだった。

だから、私は、おばあちゃんの家に居る時間がすごく好きだった。

なのに、今日からおばあちゃんの家に行けないなんて・・・・。

私は、園バスを途中下車した。でも、おばあちゃんは迎えに来てるわけもなく

かといって、おばあちゃん家にすんなり入っていく事も出来ず

おばあちゃんの家の階段で膝を抱えてた・・・・・。

すぐに祖母が私を見つけてくれた・・・・。祖母は意味もなく泣いていた。

この時から、私の心の中を理解していたのは祖母だけだったかもしれない

この時、祖母が何も言わず、抱きしめてくれた。私は、すごく心地良かった。

そんな時間もつかの間、母が怒って電話をしてきて。叔父に送ってもらって家に帰る事になった。

祖母と離れるのが嫌で泣きながら家に帰った私を、母は当然の様に叱った。

そんな時、父はいつもニコニコ笑って、私をかばってくれる。

この時代は、父も好きだった。何をしても怒らず、温厚な父だったから。

のちに父は壊れていってしまう・・・・