内定が決まり、この4月から晴れて入社するというタイミングでした。
私があまりにも子どもで、未熟だったゆえの別れでしたが、だからこそ現実を受け入れられず、もうどうにでもなってしまえ、と自暴自棄になっていました。
「今なら人事部につながるだろう」と、深夜にもかかわらず、衝動的に内定している会社に電話をかけ、電話口でワッと泣き出してしまう日もありました。
超がつくほど情緒不安定に陥っていた私も、人事担当者に話を聞いてもらったことで少しずつ落ち着きを取り戻し、無事に入社。
そして、失恋の痛みを癒す時間も兼ねて、配属先も決まった夏、はじめての有給休暇を使って、ヨーロッパへひとり旅することにしました。
少し迷いましたが、アートに詳しい元恋人がよく話していた、ヴェネツィア・ビエンナーレ(2年に一度開催される芸術祭)を行き先に決定。
日本から飛行機を乗り継いでイタリアのミラノに降り立ち、そこで数日、観光や買い物をしながら過ごした後、電車でヴェネツィアへ。
車窓からの風景を眺めて、車掌さんによる切符の点検や車内販売などをやりすごす数時間のうちに、前の席に座るイタリア人のおばあさんと会話をすることもありました。
会話も尽きて、ふと持ってきた本を読もうとバッグがら「美術手帖」を取り出したとき。
息がとまりそうになりました。
なんと、たまたま開いたページに、元恋人が載っていたのです。ヴェネツィア・ビエンナーレ特集号の見開きの記事の、ほんの端っこでしたが、アートに詳しかった彼が確かにこちらを見ていました。
これは、芸術祭の予習にと、日本から持ってきた数少ない本の1冊です。そして、元恋人は普通の大学生で、しょっちゅう雑誌や本に載るような立場の人ではありません。
生まれて初めて買った本をパッと開いたページに、今回の旅で忘れようと決めていた元恋人が掲載されている確率が測れるとすれば、一体何%なのでしょう。
見えない何かの力が、前を向きなさいと、叱咤しているようにも思えました。
涙がとめどなくあふれてきて、なんとも言えない胸の痛みに、思わずウッと声が出てしまいました。
おばあさんがびっくりしたような顔で私の顔を覗き込むので、恥ずかしさを紛らわすため、外を向いて車窓の風景ばかりを眺めていました。
風景と重なるように、ページの中でにこやかにこちらを見ている彼がチラチラと目の前をかすめていきました。
お互いにもう新しい世界で暮らしている。
もう彼と関わることはできないのだ、とやっと実感が湧いてくるのでした。
ビエンナーレの時期がきたと何かのニュースで目にするたびに、あの時の風景が、かすかな胸の痛みとともに思い出されます。
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