こんばんは。
予定では、次は、肝転移のラジオ波焼灼ついてを投稿しようと思っていたのですが、先にがん友のエールさんについて投稿させていただきます。
1年くらい前に、エールさんからブログを通じてとても丁寧なメッセージをいただき、交流が始まりました。今では、年下の従兄弟みたいな存在で、エールさんも私のことを親戚のお姉さんみたいな存在だと言ってくれました。
そのエールさんが、9月15日、22時50分に永眠されました。
そのハンドルネームのとおり、どんな状況であっても、みんなにエールを送り続けた人でした。明るくて優しくて、年齢よりも若く見えるイケメンで、誰からも好かれる人だったと思います。
そのお人柄に最初に感動したのは、地元の神社でお参りされたとき。
絵馬にみんなの名前を書いて、病気回復のお参りをしてくれました。
私は、会ったこともない人のために、こんなことまでできるエールさんに感動すら覚えました。
松竹さんの「ここべん名誉館長」を札幌のみちよさんと共に任命され、昨年12月には、「ここべん」で、初めてお会いしました。松竹さんと4人、食べて笑って、そしてがんの話もたくさんしました。密な時間を過ごしました。あの日のことは一生忘れません。
私とみちよさんが帰った後は、骨の痛みに悩む松竹さんに、放射線治療を提案したそうですね。あんなに治療に頑なだった松竹さんが、エールさんの言うことはすんなり受け入れたんですよね。
松竹さんを「師匠」と慕っていたエールさん。
今頃は、天国で会っているのでしょうか?
松竹さん、「こんなに早くきて~。」と怒らないであげてくださいね。
そちらで、一緒にたくさん食べて、飲んで、笑って、楽しんでください。
今年7月には、セカンドオピニオンで東京へ上京。帰りの新幹線までの1時間程度、奥様と一緒にお話をしました。奥様を見つめる優しいまなざし。私は、親戚のお節介おばちゃんと化して、二人の写真を撮りました。
8月9日には、私の帰省とタイミングが合い、病院のロビーでゆうこ先生と三人で少しお話をしました。自分の病巣に冷静でしたし、希望をずっと持ち続けている強い気持ちを感じました。病気の事に関しては、常に真っ直ぐに前を向いている人でした。
ハイパーサーミアも113回。ほぼ皆勤賞で続け、そのことはブログでおわかりの方も多いと思います。わんこのエールくんの事を褒めると「子どもみたいなもんなんで、褒められるのがものすごく嬉しいです。」と目尻を下げていました。
松竹さんのお友達と会うために、新大阪の駅前を闊歩しました。しっかり歩いていましたから、こんなに急激になんて信じられません。
三人で松竹さんの意思を継いで、がん友さんやその家族が孤独にならないように、ステージなんて関係なく、罹患した人もみんな集まって話をする。そんな集まりを年に一度でもいいからやりたいよねって話しました。
今回の私の肝転移のラジオ波焼灼も、「絶対大丈夫だから、安心して受けてきてくださいね」って直前までいっぱいエールを送ってくれました。
どんな状況でも、いつも皆を励ます気持ちを忘れない人でした。
9月14日(木)、私が、肝転移のラジオ波焼灼を終えて帰るとき、
「厳しいです。でも、頑張ります。」って精一杯、ライン入力してくれたんですね。
それが最後のやりとりになるとは、夢にも思わなかった。。。
こんなに急に逝っちゃうなんて。
とても寂しいし、悔しいよ。
月並みな言葉になってしまうけれど、今は、痛みや様々な辛さから解放されて、天国でゆっくり休んでください。
あなたは、これからも、ずっと私の心の友です。
そして、今度は天国からエールを送ってください。
私も、時々、空を見上げて、エールさんのことを思い出します。
今まで本当にありがとうございました。