【溺愛婚活&

 パートナーシップコンサルタント】

 わたなべみえです

 

 

こちらの記事の続きです↓

 

 

 

今でこそ、

母子家庭と聞いても

「シングルマザー」

「シンママ」

などと、新しい言葉が

生まれるぐらい

抵抗なく受け入れられていますが、

 

 

当時は一般的に

「不憫」「恥」

など、負のイメージしか

ありませんでした。

 

 

ですから、

28歳の若くもない娘が、

独り身で子供を産むなんて

 

 

親にとっては

失態でしか

なかったと思います。

 

 

私の気持ちなどお構いなしに

「早く病院に行け!」

の一点張りでした。

 

 

 

しかし、

妊娠5ヶ月を過ぎ

胎動を感じるようになると

 

 

私にはもう、

母性が生まれ

 

まだ見ぬ少女と

対話をするように

なっていました。

 

 

 

そして、

一人塞ぎこんで

部屋に閉じこもっていると

 

 

兄が来て、

「俺が父親代わりになるから

 安心して産め」

と言ってくれました。

 

 

兄は

私と両親とのやり取りに

口を出すことはなかったけれど、

 

私の想いは

理解してくれていました。

 

 

 

これまで一番欲しかった

家族の愛に触れ

 

 

「絶対にこの子を産む」

と決意することができました。

 

 

 

苦しみは消え、

両親にもきっぱり

「産む」と伝え

 

 

そこから、私の

『母親としての人生』

が始まったのです。

 

 

 

(8)へ続きます