子どもが取り違えられる
野々宮家、斎木家。
2組の夫婦の対比や
福山さん演じる良多の
キャラクターなど、
わかり易い設定にひっかかりを
感じるのだけれど、
そのひっかかりが全て
考えの材料になる不思議。
たとえば良多。
こんな幼稚な人、いる?
人生勝ち組。
頭脳明晰?
趣味もありそう。
容姿端麗。
それなら大人の余裕を
持っていていいはずなのに…
たまらなく幼稚。
それはまさしく良多が、
ステップマザーである母を
受け入れられない子どもの場所から
まだ抜け出していないという表現なのかな?と、考えてみたりする。
あえてあっさりと仕上げているような
ストーリー展開。
取り違えられた子どもを
取り替えることを悩みつつも
ふたつの家族は
案外とスムーズに「交換」します。
⁇?
そんなもの?
流れというのがあるのかな…
環境をかえるのであれば
早いうちに…と
なるのは自然なこと?
でも…
それがリアルなのかも。
また、後で振り返ればこういう
大変な時期のことって、
記憶に残らないものなんだろうな。
そこのところを台詞なんかでしつこく
描かないことで
音楽や映像が生きてくるのかな。
野々宮家。
エリート?エリートに憧れてる?
夫の良多のカラーが強くて、
妻であるみどりは少し窮屈そう。
息子の名の「慶多」、良多の「多」を
とってる…
そんなふうにつながりを求めてる
ところもあるのかな。
これに対して…
斎木家。
生々しいのです。
…
ラフな感じ。←良多やみどりの視点で
詳細がわかります。要するに野々宮家との対比でそれが強調されてる。
…ここまで書いて、書くほどに
私の思いとは離れていく気がして
保留にしていました。
中途半端だけど、残しておこう。
感動だけじゃ物足りなく感じて
いろいろ考えたくなるけれど
それがうまく出来ない
批評家気取りのお馬鹿さん。
リリーフランキーさんは
声や容姿で得してるな(笑)。
すてきだな。
mieru