ストレスと体調不良、そして死産

妊娠超初期にヒトメタニューモウイルスに罹り、妊娠6週目から7週目にかけてアデノウイルスに罹りました。

妊娠中に退職やパートを言い渡されたことに対して、私は苛立ちを感じました。
どう考えても、上司は私が自主退職を申し出るのを待っているようにしか思えませんでした。
そして、プライドが高い私は、絶対に辞めてやるもんか、仕事を休むもんかと自分で自分を追い込んでしまいました。職場に行く度に、上司の言葉が毎日蘇り、子どもの体調の変化にも今まで以上に敏感になりました。
朝の検温で熱がないことに安堵し、仕事中は電話が鳴る度に保育園からの呼び出しじゃないことを祈り、夜は子どもの体を触って、少しでも体温が高いと感じるとビクビクしながら熱を測り…。

そして、赤ちゃんが亡くなったであろう13週目に入った頃、副鼻腔炎になったあと嘔吐下痢になりました。
1日だけ休みましたが、それ以上は休みたくなくて、下痢と吐き気と微熱が続く中、仕事をしました。

今から思えば、赤ちゃんからのSOSだったのかもしれません。

13週だったので、染色体異常など赤ちゃん側の原因の可能性が高いと先生には言われました。
結果が出るのはもう少し先のことですが、原因がどちらにあったとしても、私は自分を責め続けると思います。


  上司への死産の報告

上司と言うのが、施設内全体を統括する『上司①』と、現場の直属の『上司②』がいます。
死産の報告は上司①と連絡がつかなかったため、上司②にしました。

上司②は、妊娠報告をしてからは、仕事内容を介助が大変なものは減らしてくれたり、休憩しながらできる仕事を割り当てたりしてくださいました。

死産の報告をしたときも

「仕事のことは気にしないで。」

と言ってくれました。

でも、上司②は、産後8週休まなければならないと伝えたにも関わらず、次の日に入院の日程を伝えるために連絡したときには

「で、いつから戻って来れそうかな?」

と聞かれました。

死産の際の産後休暇が認知されていないのはわかりますが、前日に伝えているにもかかわらず忘れるのはどうかと思いました。
しかも、まだ入院も流産処置も終わっていないのに、いつから復帰できるかなんて常識的に聞いてくるものなんでしょうか?

また上司①には火葬後に、退院報告や産後休暇の日にちについて再度連絡したにも関わらず、上司②には伝えていなかったようで、2日後に上司②から電話がありどうなったか聞かれ、再度経緯を話すことになったため、辛い記憶も蘇りかなりストレスでした。

今現在、出産手当金支給申請書の書類のことについて2〜3度電話をしていますが、1週間以上繋がらず、折り返しの電話もない状態です。


以上が、死産までの経緯とその後の職場の対応です。


最後まで読んでくださった方、コメントやいいねをくださった方ありがとうございました。
共感やアドバイスをしてくださる人がいる度に、とても励みになりました。

今後、復帰までの上司とのやり取りや、復帰後の職場の対応など、不安なことはたくさんありますが、もう少し頑張っていこうと思います。