昨日の雪は、儚くて、
早朝はらはら降ったあとは、ぜんぜん。
なんなく車は動いて 受診にはささくれほどの支障も与えず。
──ややこしいお話ですが、
私は、引越で主治医の病院が遠くなりました。
峠を越えて何時間もかけて通院しています。
身体の衰弱を考慮し、身体への負担をかんがみ、
いざというときのため、
遠方の主治医と近場の病院との〝連係プレー〟的な受診態勢を
とってもらっています。
今日は、、近場の病院の予約日でした。
今日の受診、キーワードは
ひととして
入院を勧めるのも私のためを思って
主治医だって人間で、気持ちがある
医者と患者としてではなくひととして向き合う
わかってはいるのです、
わたしのため、
わたしを思って、
今日は、
そんなことすらわからないなんて、
ひととして最低だ、クズだ、云々、云々、
何度も何度もそう言って
でっかい五寸釘かなにかをアタマからうちこまれた気持ち、
まさに
うちのめされました
ねえ、でも、それじゃあ私の気持ちはどうすればいいのでしょう
どこへいけば、
どこへ置けば、
どこに居れば、
いいのでしょう。
お医者に対しても気遣い、
お医者の気持ちを汲んで、
私の気持ちは
閉じ込め封じ込め、
今までだって家族や周りにたいして
そうやって生きてきたのだから
そうするのは簡単、得意?
それをやっとガマンせずにちょびっと出せるようになったのに
それでは、ふつうに、家族とかわりない
通院の意味がないではありませんか。
医者と患者でないのなら!
何時間も通院の道のりに家族のテを煩わせ
有って無きに等しい〝予約〟時刻、何時間も待ちぼうけをくらい、
あげく、三分診療
お医者でないなら
そこに
なにがあるっていうのでしょう
今日、いかなきゃよかったな
雪が、私を閉じこめてくれたらよかった、
明日の遠方の主治医との予約。
〝ひととして〟は、
すっぽかしてはならない
お医者の言うことを尊重しなければならない
お医者の気持ちを考えなければならない
そんな受診なら .....!!!
ああ、
峠が雪にうもれてしまえばいい