生徒さんの御一人が、ライターの勉強をされており、私に取材申込がありました。

私より字が上手な方は沢山いらっしゃる事、未だまだ勉強中の身である旨をお伝えし、1度はお断りしてます。

最終的にはお引受けしたのですが…
宜しければ、ご覧下さい

【字を書くことを学ぶ人には、こんなことが見えている?!】 
  その①


私が通うペン字教室は鶴見川沿いのスポーツセンターの2階で毎週火曜日の1140分から70分間行われる。生徒は女性が11名、男性が2名である。

3か月ごとに抽選によって更新する教室なので生徒の顔ぶれにも少し入れ替えがある。卓球やバドミントン、太極拳やピラティスなどスポーツ教室がメインの中で、ただひとつの文科系教室である。パンフレットには「文章の60%以上が平仮名で成り立つことから~」と書かれていたので平仮名を中心に学ぶのかと思った。だが実際は先生である尾﨑美和子の熱意ゆえに多くの事が学べる教室であった。

尾﨑は「今日も皆さんにうまく教えられるだろうか?理解していただけるだろうかと授業ではいつも緊張しています」と話す。

授業では「よくこの部分に気づきましたね、この字のここを見抜くなんてすごい」とか「“木へん”の四画目が控えめでかわいいと思いませんか、私はこれが好きなんです」などと言うことがある。ペン字を学んだことのない私は、字にはそういう見方があるのかと新しい気づきであった。

授業で尾﨑の話を聞いていると字を書くということには、上手であるという技術だけでなく、知識、観察力、感性、心構えが深く関係している事が見えてきていろいろと聞いてみたくなった。そこで鶴見駅近くの会議室を借りて尾﨑に90分のインタビューを行い、そこから見えてきたことを書いてみた。今回は「その①」である。


いくつかの転機、書道の師との出会い


尾﨑は負けず嫌いである。学生の頃はバスケに打ち込みチームを引っ張っていこうと思っていたがレギュラーになれなかったりキャプテンになれなかったりで悔しくて泣いていた。また海外での仕事にも興味があったらしいが実現しなかった。そして10代の頃はそんなに字はうまくなかったという尾﨑のパスポートには少し力の入った角張った字で名前が書かれていた。

生まれも育ちも横浜の尾﨑は20代前半で府中市に引っ越した。知らない土地で友人もいなかった。これといった趣味もなく、今のようにネットもLINEもない時代であった。何かしら生活にアクセントを与えるものを探し、ペン字のカルチャー教室に通い始めた。そこで書道の師に出会い、その字の美しさに魅了された。同じペンを使っているのに師の書く字はなぜこんなに美しいのか?それは、いつまでも見ていたいと思う字であった。「そんなに字を書くのが好きなら文科省硬筆検定の一級を目指して見なさい」と言われた。が、受験するも何度も失敗する。しかし合格という結果ではなく過程が大事だと師はいつも尾﨑を励まし、かわいがってくれた。


ようやく一級を取得し、師からはペン字教室を任せるとの話もあったが、また引っ越し、出産、体調不良などの生活の様々な節目があり10年くらい書いていない時期があった。いろいろな悩み事もありペン字に向き合えない時期であった。

そこに東日本大震災が起きた。その衝撃は尾﨑に新たな行動を起こさせた。今一度、自分自身を振り返り、再びペン字に向き合うことにした。毛筆の勉強も始めた。すると毛筆が楽しく硬筆に続き毛筆検定一級を取得した。雇われ書道講師から筆耕の仕事やカルチャーセンターの講師、また今の鶴見区スポーツセンターからも講師として要請が来るようになった。

「書道教室の先生というのは子供の頃から継続して書道を学び続けた人や書道大学や専門学校で学んだ人が多いんです。それに比べると私の場合は、ここまでくるのにいろいろあり、長い道のりだったと思います」尾﨑は振り返って語る。


伝えたいこと

 確か今年の3月くらいからだろうか?尾﨑はこう言い始めた。

「皆さんが学んでいる楷書は書道のほんの入り口に過ぎない、皆さんは楷書の基本は理解できているのだからどんどん先に進んで行書も草書も学んでほしいんです。そして筆で書くことに挑戦をしてほしい。そうすると少しずつでも美文字がわかり、上達します。楷書で立ち止まらないでほしいんです。」

尾﨑が驚くほど上手な生徒も多いのだが生徒たちは少し反対しているのが現状である。

「皆さんが上達に悩んでいる気持ちもよく理解できるけど、人生は短いからどんどん先に進んだ方がいいと思っています」

これは尾﨑が歩んできた自分の経験から発せられたものであろう。

その① (完)



ご覧頂き、ありがとうございました。文中の尾﨑が格好良く書かれており、一体何方の尾﨑さんかしら…😅
次回②乞うご期待下さい!