そして日常へ。 | みぃみぃの徒然ブログ

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  ヴァンフォーレ甲府のネタをメインにつづるブログ。

  ヴァンフォーレ以外には写真、自転車、TRPG、サッカー、ビリヤードなどなどを徒然なるままに気ままに書いております。

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1つの区切りがつき、1週間ほどの目まぐるしい日が終わりました。

本日から社会復帰です。
身体中痛くて辛い…



肝臓に病気を患って30年近く、肝臓ガンになって10年。
手の施しようが無く、いつ肝臓が破裂してもおかしくないと言われてから半年。
母はとてもよく頑張ってくれたと思います。
先生も10年なんて滅多にあることではなく、本当によく頑張ってくれたと仰ってくれました。

絶望的な最後の入院も、入院時には1ヶ月と言われておりましたが、奇跡的な回復を見せ、その1ヶ月後には、外出許可が出て、母の目標だった一時帰宅が出来ました。

母の頑張りのお陰で、家に帰ってきて、みんなで食事を取り、家族写真も撮れ、家族で幸せな時間を過ごせたのは、何よりも母の頑張りのお陰だと思います。

先生にも恵まれ10年戦った先生は戦友であり、友人であり、今回入院を見てくれた先生もとてもよくしてくれましたし、母は孫みたいだと、二人の先生が病室に来てくれるのをとても楽しみにしておりました。
患者にとってはいい先生に巡り会えるかどうかが大きいと改めて思いました。
その点では母はとても恵まれていたと思います。

また入院中は、子供が常に付き添って食事の世話や話し相手、個室に移ってからは夜の寝泊まりもほとんど一緒に過ごしました。

親子といえども、別居していることもあり、普段は忙しかったりで、数年間はこんなに長く、そしてゆっくりと過ごせたことは無かったと思います。

だから、そのせいか、母は「こんなに幸せでいいのかしら」とずっと言ってました。

心配していた痛みや精神的な落ち込みは、緩和ケア専門のチームが痛みと精神面のコントロールをキメ細やかにしてくれて、痛みをあまり感じることがなく、本当によくしてくれたと思います。

そのせいか、一時はとてもよく喋り、ごく少量ですが、好きな果物を、美味しい美味しいと言って食べておりました。


最後の日、病院から連絡があったとき、職場が遠いので、看取りは間に合わないと思いましたが、そこでも母は頑張ってくれて、家族が揃うまで頑張ってくれました。

最後も眠るようにスーっと息を引き取りました。気がつかないくらいでした。

看取りは二人の主治医が譲るように、和気相合と出来たし、母のお気に入りの担当看護師も居てくれたので、本当にいい最後だったかと思います。

母が頑張って時間を作ったり家に帰ってこれたりで、親孝行をする時間を作ってくれました。
それもこれも母が病気と戦って頑張ってくれたお陰だと思います。
わたしはやれることはやれたかなと思いますし、他の子らも同じ考えみたいです。

ただ、同居している子はわたしだけでしたので、家にいる間にもっといろんなことを教えておいてもらうんだったなぁと、少なからず後悔はありますが、今さら考えても仕方がありませんね。


通夜、告別式は滞りなく終わり、お役所関係の手続きも少しづつですが進めています。

告別式はわたしの誕生日でもありました。
誰かに言われましたが、それはお母さんからの感謝なのでは…と。


病院へも先生に直接会え、お礼を言うことが出来ました。
棺には戦友の先生と孫のような先生、そして担当のお気に入りの看護師さんの写真や家族との写真を入れられることが出来てよかったです。


最初は悲しくて落ち込みましたが、やることが多すぎて考えないといけないことが多く、体力的にきつかったですね。
激動の1週間でした。
まだやることは残ってますけど。

回りの方にも言われますが、今は気が張っているせいか、思ったより大丈夫だけど、だんだん寂しくなったり、ガクッと来るから気を付けろと言われております。
疲れているのに、気が張っているのか、夜あまり寝れてないですしね。

なるべく早く日常に戻らないといけないかもしれませんね。



よく言われますが四十九日までは落ち着かない日が続くかな?
四十九日終わったら師走だし年末はずっと忙しいのかも…