今日(4月9日土)、娘の入学式でした。
北海道は、まだ何の花も咲いていません。
道路の端に雪の残る、スタートでした。
それでも、此処まで来るには、「ようやく・・」と、云う言葉がぴったりの日々でした。
一昨年から、いろいろ小学校での問題が表面化して、殆ど不登校への道を歩んでいた娘は、幸い、私とカラオケで、ストレス発散する対処法を見つけ、以来、週1回の割合で、歌い続けていました。
週1回4時間
レパートリーの少ない2人は、パソコン駆使して、お互いの歌えそうな曲、検索しまくり、ガイド機能使ったり、偶には長男にもついてきてもらい、とにかく、歌いまくっていました。
最初は、小さな声で、店員さんが来ると、歌えなくなるような、シャイな感じが、慣れて平気に成り、
終いには、学校でホントに小さな声しか出さなかった娘の、学校での唱歌の声が、あまりに普段と違って、クラスメートが驚いて、注目するぐらい、堂々と歌えるように、変化していきました。
私は3~4年前までは、カラオケで歌う事などなかった人間でした。
藤澤ノリマサのライブに行って、その後、使えなかったPC使って、彼の事を調べて・・・・そこが、始まりです。
3~4歳の頃から、中耳炎繰り返して、その度に、病院には行くのだけれど、働く母は、最後完治するまで、仕事を休めず、いつの間にか、治まっている・・・その繰り返しでした。
聴こえの検査の結果、右耳の聴力が少し悪いと、言われても、大きくなると、鼻から耳への管が成長して、空気の通りが良くなり、中耳炎は起こりにくくなるかもしれないと・・・・そこに希望をもって
少しでも、弱い聴力を、補う訓練になればと、エレクトーンのレッスンを、小学1年で、始めました。
だから、先に進むより、楽しんで、音に親しむためのレッスン
グレードもあまり気にせず、藤澤ノリマサの札幌イ―アスのインストアライブの日が、初めてのグレード試験の日でした。
試験後、新聞で以前から気になっていた藤澤ノリマサのライブに、普段行かないお出かけの積もりで、出かけ、余りの素晴らしさに私はファンになり、その後ハマって行った・・・。
彼が良くやる、オペラの発声と、ポップスの発声も、勿論娘に伝え、違いを試したり
同時に出来た、ネットの友人達(藤沢ノリマサのファン仲間)の会話から教会音楽や、コンサートホールでの楽しみ方等、沢山の知識を得、
娘を連れて、教会のパイプオルガンきいたり、キタラの催し物、コンサートにも出かけるようになり、
音楽への憧憬を深めていっていたのでした。
そして、カラオケ
会社の吞み会ぐらいでしか、行ったことの無かった私は、「どんな曲、歌うの?」そうきくネットの友人に、勧められた曲を、歌えるようになりたくて、
息子に連れて行ってもらい、練習したのです
最初は、音がつかめなくて、出なくて・・・・・それを、娘は見ていました。
そして、自分も、と・・
声を出すことが、歌が上達して、ストレスも発散出来る
これで、学習したのです
自然な流れで、「 私、音楽の勉強したい」 と、急きょ、6年の冬休み少し前に意思表示
慌てましたね~
もう、願書締め切り2週間切っていたですから・・
そこから、調べ、音楽コースのある学校の試験勉強
猛勉強していましたね
塾では、間に合わないから、長男が付きっきりで、問題集やりまくり、わずかな間に、何冊も買い替え、やり切り、その間に、実技試験の練習
そして、合格!!
だけど、まだ、試練はありました
幼い時から、繰り返していた中耳炎 音楽コースに入学する前に、なんとかならない物か、検査すると
なんと、右耳小骨奇形又は、欠損と、云う事でした
音を聴く為には、手術しかありません
結構大きな手術だから、痛いよ・・・16歳くらいでするのがベターなんだって・・・
左は正常です
右だって、補聴器使うほどじゃない
痛みを知らない母の私は、今じゃなくても
そう思いました
でも、本人は違いました
即答でした
今したい
聴こえるようになりたい
親が思うより、ずっと傷ついてきたんだ
もっと、ちゃんと、受け取ってあげられたらよかったのに・・・・
そんなこんなで、3月18日卒業
5日後23日入院翌24日手術でした
春休み中ずっと病院生活
4月7日退院
4月9日入学式
やっと、やっと、ここまで、こぎ着けました
音楽を、通して此処まで来ました
藤澤ノリマサの魅力に取りつかれなければ、
此処で、音楽好きの友達に出会わなければ、
今、 は、ないなぁ~
出会えてよかった
来週から、新しい生活が 始まります
娘の第2章の始まりです
本当に、ありがとう