やはり1回では終わらない、私の旅行記(苦笑)
前回は、「あけぼのに乗る旅」と書いておいて、実際は「あけぼの」の写真を撮って上野を出た所で終わってますから、看板に偽りが9割ほどあります
正確には前回分は、「快速シーハイル上越に乗る旅」と題するべきでした(笑)
そんな言い訳書いてるから、又文字数が制限されちゃうので、次に行ってみよー
私の切符は、公私共にお世話になっている、富山市の西部トラベルさんにお願いして、取って頂きました。以前このブログで書いた、「北斗星」の旅の時の切符も、西部トラベルさんに取って頂いたんです。
私もかなりの鉄オタではありますが、プランニングとかは出来ても、肝心要の切符がなかなか素人では手に入らない、そんな時は西部トラベルさんに頼んでしまいます。
スタッフさんも、確実に大手旅行代理店よりも親身に相談に乗ってくれますので、富山の方で旅行に用がある方は、西部トラベルさんか私にお声掛け下さい(笑)
さて取って頂いた寝台は、B寝台ソロの上段で、リクエスト通りの場所でした
下段だと頭がつっかえるという情報を仕入れていたので、上段をお願いした次第です。
あ、A寝台は最初から選択肢に入っていません(笑)
(↑再掲ですが、狭いようで1人だけなら十分すぎるスペースです)
上野を定刻に出た「あけぼの」は、沿線のビルの輝くネオンが眩しい東京北部から埼玉へと入りますが、客車なので静かにコトンコトン、とレールの継ぎ目の音を拾い、青森へと向かいます。
夜行列車の醍醐味1つ目は、まず出発時の、他の列車とは違うんだぜという自慢(?)にもにた感情です。
この時も廃止間近だからか各駅に、私には手が出せない高価なカメラを構えたマニアさんが沢山いました
そして醍醐味である反面、恥ずかしいのは、駅に停車する時です。
「あけぼの」はまず大宮に停まりますが、まだ21:42とあって、多くのお客さんが駅のホームを行き来しています。
当然、ジロジロ見られるんです
は、恥ずかしい…(〃ノωノ)
早く出て…(笑)
自意識過剰かもしれませんが
とりあえず大宮までは私の心中もザワザワしていましたが、大宮を出たら、ちょっと落ち着いてきました
ネオン街も車窓からは減って来まして、少しずつ夜景に明かりがポツポツという光景も増えてきました。
私も買ってから時間が経ちましたが、ここらで缶ビールと夜食を
流れゆく夜景を眺めながらの缶ビール、情緒がありました
こういうのを旅行っていうんだよな~。
高崎を過ぎますと、いよいよ沿線はポツンポツンと遠くに明かりが見え、たまに沿線の道路を車がすれ違う程度に変わっていきます。
肉眼では結構夜景を楽しめたんですが、カメラで撮ったら意味不明ですねぇ(苦笑)
列車の走行音が、だんだん静かになっていきます。
雪国に入ってきたって感じですね。
この水上駅までは、ハッキリ覚えているのですが、この後の長ーいトンネルに入った辺りで、どうやら私は眠りに落ちたようです
恐らくはアルコールのお陰かと思いますが(笑)
ハッと目が覚め、今どこと、ある駅に停車した時に必死に駅名標を見たら、仁賀保駅でした。
当時の時刻表を見ると、仁賀保駅は朝5:48の発車となっています。時計を見たら定刻
流石日本の鉄道、雪の降る中夜通し定刻で走るなんて、素晴らしいです。
また寝落ちした水上駅過ぎは、時刻表では分かりませんが、恐らく夜中12時過ぎ。
割と寝れました~\(^o^)/
6時間弱も寝れれば十分です
事前の調べでは、この後の秋田駅でちょっと停車時間があり、そこで朝の駅弁をホームで販売しているようです。
それを楽しみにしていたのですが、途中すれ違い列車が遅れたせいで、秋田駅の到着が少々遅れてしまいました
なおかつ秋田駅は、既に石川さゆりの世界で、ツルッツル
駅弁屋さんを探したら、はるか彼方におられたのは見えたんですが、こんなツルツルのホームを走って駅弁買いに行って、既に発車ベルが鳴っている「あけぼの」に間に合うのか
私はこの写真一枚だけで、諦めました、残念
一応、朝食用にカロリーメイトは用意しておいたので、それとペットボトルのお茶で朝食としました
車内には、懐かしき国鉄時代を思い出させてくれる、こんなのも
かつての特急に、急行には、必ずこの冷水器がありましたよね
めっちゃ冷たくて気持ち良いんです
でも衛生面の問題ですかね、今走ってる特急に冷水器なんぞ、見かけなくなりました。
ちょっと寂しいですが、時代の変遷なのかな~。
さてすっかり外は明るくなりましたが、一面銀世界
昔、鉄道ジャーナルという雑誌をよく読んでいたんですが、名物企画の一つに、記者とカメラマンが列車に乗ってのレポートがありました。
そんなのが名物企画と思ってしまいそうですが、鉄道雑誌主要3誌の中で、列車乗車記を載せているのはジャーナルだけでした。
鉄道会社ベッタリのレポではなく、実際に乗ったから分かる問題点とか、お客さんの生の声を取材していて、結構読み応えがあったんですけど、今は無くなったのかな
その乗車ルポの真骨頂は、やはり夜行列車のルポでしたね~。
あるお客さんに焦点を絞ってみたり、乗務員の苦闘にスポットを当ててみたり、色々な角度から取材してました。
その頃の記者さんがこの「あけぼの」のルポを書いたらどうなるかな、とふと思いました。
何といっても昔の寝台特急は、開放型B寝台、A寝台でも開放型が当然でしたから、取材もしやすかっただろうと思うんですよね
それが個室化が進み、「あけぼの」もこんな通路ですから、お客さん同士すれ違うのも大変
またお客さんに取材しようにも、いちいち一部屋ずつノックして回らなきゃいけないから、一昔前とは大違いですね。
さて列車は定刻に青森を目指しまして、ラストスパートをかけます
天気が良ければ車窓には岩木山が見えるはずなんですが、残念ながら…というか当たり前(!?)というか、沿線は鉛色の空で、岩木山は見えず
でもこれが北国の冬ですし、富山もそうですから、仕方ないですね。
は新青森に停車し、いよいよ終点青森を目指します。
実距離4kmに満たない区間を、名残惜しそうに7分掛けて、ゆっくりと青森駅へと進入します。
さあ、上野を昨夜9時過ぎに出発し、青森には10時前に到着という、一日の半分以上を過ごした「あけぼの」ともお別れです。
既に秋田駅で、ホームが雪に覆われている光景は見ていますが、これが青森駅だと余計に感慨が沸きます。
長岡から青森までをけん引してきたEF81は、早々に客車から切り離され、回送線へ向かいます。
青森駅から函館側を臨むと、青函連絡船が唯一の交通手段だった時代は、沢山の線路で迷路みたいだったろうなと思われる広大な敷地に、機関車折り返し用の回送線路が1本だけ。
それがまた寂しさを感じさせます。
「あけぼの」は、客車を車庫に入れるDE10が逆側に連結され、雪の中を静々と車庫へ引っ張られていきました。
今夜の青森発になるために、しばし休憩に入ります。
EF81も回送線路を、積もった雪を掻き分けて、機関車用の車庫へ。
彼も今夜、長岡まで「あけぼの」を牽引するために一休みですね。
沢山のマニアが「あけぼの」を撮影するためにホームに集っていましたが、いつの間にか雲散霧消
とても楽しく思い出に残る一夜でした。帰りも「あけぼの」にすればよかったな~(笑)
そんな私のメインの旅は、一応終わりましたが、まだまだこの後、別の旅へと名前を変えて続きます