平成から令和へと元号が変わりましたね
私が今書いてる記録は、「昭和」時代の話なので、なんと2つの時代を遡る話になってしまいました
でも昭和生まれ、まだまだ頑張りますよ~
さて前回は、夏のコンクールが銀賞で終わり、吹奏楽部内にも安堵感が漂っていることに疑問を感じた…という場面で終わっております。
吹奏楽部経験者、そしてコンクール出場経験者の方なら、やっぱり「ゴールド金賞」がほしい気持ち、分かっていただけますよね
そのため1年生の同期男子の更に一部で、来年は金賞を目指そう、そのために俺たちで意識改革していこう
と、密かに話し合いました。
私の母校では、毎年4月に2年生になるや否や役員改選していたんですが、部長にその仲間男子から誰かがなって、コンクールで金を取るを目指して頑張ることを、1年生の9月にはもう話し合ってました(笑)
まあ今だから言える(書ける)のかもしれないのですが、私達4期生から見ていても、一つ上の3期生の先輩方って、まず男女の仲が悪いんですよ(苦笑)
その上、部長は頑張ってはおられたんですが、どうも空回り気味
部長の言うことや指示に、先輩方(特に女子)は反抗的
部長自身も思い通りにならないイライラがある反面、ナルシストな部分があった(見ていると自分に酔ってるんですよね)のも否めず…
正直、風通しが悪かったです。
なので、部活を辞めるとかは考えなかったですが、放課後に音楽室に行くのが気が重い…ってことはよくありましたねぇ
О君と元カノさんの仲もグングン進展してるのが手に取るように分かりましたし
そんな中で2学期最初のイベント、体育祭を終え、
(↑唯一手元にある体育祭で演奏している様子の写真です。私は右端でほとんど顔が写っていませんが…)
次は11月にあるRCC主催の「中国吹奏楽まつり」へと、吹奏楽部は練習環境を変えていくんですが、プライベートな部分では私は元カノさんショックを引き摺ったままでした
新しい好きな女の子を見付ければ、昔のことなんて忘れるさと、友達は励ましてくれていましたが、フラれることを先に考えてしまう臆病な性格が災いして、なかなか新たな好きな女の子を見つけるまで、至っておりませんでした。
そこで一肌脱いでくれたのが、同じ中学出身の親友、Y君です
「お前と同じ苗字の子がおるやん。結構仲良さそうに喋っとるけぇ、告白したらうまくいくんじゃないか?」
と焚き付けてくれました
確かに同じ中学から進学した女の子で、中学時代はテニス部だったのですが、高校から吹奏楽を始めた女の子がいました。
同じ方向からの登下校ということで、いつもその子も一緒にワイワイと帰っていたのです。
Y君はその様子を見て、カップルになったら上手くいく、と思ってくれたんでしょうね
私自身、Y君にアドバイスを受けてからその子を意識しだし、カップルになりたいな~と思って、なるべく私から話しかけるようにしたりして、コミュニケーションを取るよう、心掛けていました。
し・か・し・!
10月に入ったある日、Y君提案で、合同デートという企画があったんです。
О君と元カノさん、Y君とY君が好きな女の子、そして私と私が好きになった女の子の、3対3のデートです(元カノさんとはまだ喋らないを貫いていましたが 笑)
6人でスケートに行ったり、NTT中国吹奏楽団の演奏会を見たりして、帰路につきました。
途中までは、私が好きになった女の子とも、楽しい会話が出来ていたのですが、何が何処で起きたのか、帰宅する際にみんなで列車に乗り、他の4人は並んで座ってるのに、私の横には、好きになった女の子は来てくれず、ずっとドア付近で立っていました
さらに一緒の駅で降りたはずなのに、改札を見ても何処を探しても、女の子の姿は見えません。
狐に摘まれたような気持ちになり、折しも激しく降り出した雨の中、傘も持ってなかったものですから、ずぶ濡れになりながら彼女を探したんですけど、結局見つけられませんでした。
(これって、アナタはお断りってことだろうな)
と思いました。
それまでは普通に友達として接していた男子が、急に馴れ馴れしく接してきて、戸惑ったんじゃないかなと、今では想像できるんですけど、その当時はあまりの急展開にショックを受けましたし、翌日の部活の帰りにその子に話し掛けようとしたら、
「私に話し掛けないで下さい」
と、キッパリ敬語で断られました。
愕然としました
つい数日前までは、仲良くみんなで帰ってたのに…。
Y君からは、何があったか分からんけど、いつか俺から理由を聞いてやると言ってもらえました…が、30年以上たった今も、理由は聞かされていません(苦笑)
何か嫌がることをしたのかな、気に入らないNGワードでも触れちゃったのかなと、いろいろ考えてはみたのですが、何も思い当たる節がありません
ミエハル、中3の3学期にフラれ、高1の2学期にフラれ…
昭和61年という年は、失恋続きの年でした
しいて言えば、中学校の卒業式で、後輩の女の子が制服のボタンを下さいと言ってくれたことだけが、この年唯一の女性運での良いことでした
あまりにもこの失恋がショックすぎて、11月にあったはずの「中国吹奏楽まつり」ですが、何を演奏したのかいや、出場したのかも覚えてないんです
中学高校時代の出来事を、いまだによく覚えてることが自慢の私ですが(笑)、昭和61年の秋は空白なんです
同期の男子達はみんな次々彼女が出来ていく中、1人取り残されたようで、寂しくて悲しかったですね
そんな高1の秋を経て、冬へと季節は移ろいで行きます
続く~