母が施設に入って1225日で1年になりました。


実はその裏で、私は深い悲しみの中に居ました。


私の愛するトイプードルのココちゃんが、母が施設に入ったこの日、亡くなったのです。


15歳で目は白内障で見えにくくなっていて耳もほとんど聞こえていなかったけど、食欲は旺盛でした。


でも亡くなる2ヶ月くらい前からものすごく食べるのに痩せて来ていました。


病院に連れていくと、膵臓の数値が悪く、食べた物が消化されずに出てきてるとの事。


食事を14.5回に分け、療養食も購入して食べさせていました。


けれど下痢をした為、4日間入院して帰って来たら、もうほとんど歩けず、食事も食べれず寝たきりでした。


動物はギリギリまで体調が悪いのを隠すので、悪化してからは早かったです。


それでも退院後、10日間看病出来ました。

私は殆ど寝ずに付きっきりで隣にいました。


娘が心配してお母さん寝てと来てくれたけど結局娘と一緒に起きていました。


なんとか注射器やスポイトなどで水分やペースト状にしたココちゃんの好きな芋類などあげたり、みかんといちごが好きだったので、果汁を絞ってあげたりしていました。


そして258時頃から虫の息になって来て、10時半に亡くなりました。


ただ、その日は母が入院していた病院へ迎えに行って、そのまま施設に入る日なので、病院は朝10時に迎えに来てと言われていたので、旦那さんと妹にお願いしていました。


こんな状態のココちゃんを置いて出かける訳には行かないのと、ココちゃんは私に懐いていたので、申し訳ないけど旦那さんに母をお願いしていました。


そして10時半にココちゃんが亡くなったと妹に連絡しました。


旦那さんと妹が迎えに行くと、母は元々歩いていたのに、全く歩けず看護師さん達に何とか車に乗せてもらった状態でした。


しかも途中でトイレと言うので、コンビニに寄るも歩けないので、旦那さんがトイレに連れていき下着まで下ろしたりしたそうです。


その時の話は旦那さんと妹がいまだに大変だったんやからと言っています。


なので、迎えに行くから施設まで行って欲しいと言われ、亡くなったばかりのココちゃんを置いて施設に送ることになりました。


母は老人施設に拒否感を持っていて、子供に捨てられた人が入る所と偏見を持っていたので、何とか悟られずに入れたいと、施設側にもお願いしていました。


なので到着すると4.5人の介護士さん達が出て来て、荷物も母もあっという間に連れて行ってしまいました。


全く私が行く必要はなかったのです。


そんな去年のクリスマスでした。



あれから、私はココちゃんに申し訳なくて


ココちゃんが亡くなるのを待っていたかのように出掛けてしまったし。


その後も忙し過ぎたのと、思い出すと大泣きするのは分かっていたので、わざと思い出さないように目の前の用事を黙々と進めていました。


私がココちゃんを思い出して泣いたのは、亡くなって4ヶ月後位でした。


その間、ココちゃんはお母さんは全然悲しがっていないと勘違いしてるだろうなと心が痛んでいました。



ココちゃん、お母さんは今でもいつまでも愛してるよハートのバルーン