Barry White’s Love Unlimited Orchestra
今日は なんか冷えますねぇ~。
さて
最近 私は
『 航 空 管 制 官 』 をメインに ストーリーが描かれた
テレビドラマにハマっています。
さて まずは
70年代中期から80年代初頭まで
ほとんどの日本人が 『 空 の 航 路 で の 海 外 旅 行 』 に
憧れを抱いていた 懐かしい時代
テレビの海外取材番組のBGMなどで やたら好まれて使われ
多くの日本人の耳になじみがあったと思われるのが この楽曲です。
’73年に 全米第1位 全英第10位 などなど 大ヒットを記録しています。
話題を 『 航 空 管 制 官 』 に戻しますが
最近 その人々に 特に注目が集るようになったキッカケといえば
やはり昨年の 『 東 日 本 大 震 災 』 だと言えるでしょう。
当時の緊迫した状況を解説した記事の抜粋を紹介させていただきます。
東日本大震災が発生した昨年3月11日、 成田、羽田の日本の2大空港は、
同時に全滑走路が閉鎖 ( ランウェイ・クローズ )されました。
両空港に向かっていた 『 86機の航空機 』 は、
日本国内の 別の空港に目的地変更を余儀なくされましたが、
事故や深刻なトラブルは起きず、
全機が無事着陸することが出来たのです。
国土交通省によりますと、 両空港は 午後2時46分の巨大地震で
滑走路が閉鎖されました。
羽田は午後3時55分までに4本全ての閉鎖を解きましたが、 鉄道が動かないため
ターミナルビルに人があふれ、 多数の旅客機受け入れは困難でした。
成田では駐機場に乗客らが避難し、 深夜まで閉鎖が続きました。
成田行きの70機のほとんどは羽田を、 羽田行きの16機の大半は成田を、
目的地に着陸できない場合の 『 代替空港 』 に指定していました。
このため新たに着陸先を決める必要が生じました。
国交省東京航空交通管制部( 埼玉県所沢市 ) では地震発生時、
約70人が航空管制を担当していました。
この管制官らは全員、 偶然にも 前日10日に 羽田空港の滑走路閉鎖を想定した
年1回の訓練を受けていました。
直後から約30人の管制官を追加して、
同省航空交通管理センター ( 福岡市 ) と連絡を取りながら
滑走路が使える空港の駐機場の空きを調べ、 管制卓で
航空機と無線交信する管制官に伝えました。
管制卓で、 各航空機に残りの燃料量や乗客数を確認しながら管制を続けました。
北米便を中心に 飛行可能時間の少なかった計14機の機長が
緊急事態を宣言したため、
他機に優先して着陸させました。
86機は 午後8時48分までに、
関西21機、 中部17機、 新千歳14機など 13カ所に着陸しました。
( 米軍とも協力し、 米国系の11機は在日米軍横田基地が受け入れました。 )
*時事ドットコムより要約
昨年の未曽有の大震災による 前例のない緊急事態の中で
空の安全を守りぬいた 『 航 空 管 制 官 』 の人々の存在を
私達はあらためて再認識することとなりました。
ただ ドラマの中でも描かれていますが
『 管 制 官 』 の人々は
ヒーロー扱いされることは 望んでおらず
自分たちは
職務を遂行しているだけなのであると・・・。
今夜も もちろん見ます。
『 T O K Y O エ ア ポ ー ト 』
ドラマの劇中曲として使用されているのがこの素敵な曲です。
当時アメリカの 『 トランス・ワールド航空 』 のCMソングとして
使用され、 同曲で グラミー賞を 最優秀レコード賞等 4部門で受賞しています。
Up,Up and Away ’67
The 5th Dimension