テレビドラマ「必殺シリーズ」は、1972年から始まりました。私は生まれたばかりだったので、再放送だったのか?大人と一緒に見たのを覚えています。初期の仕事人は、お金をめぐって争い、仲間割れして殺し合い、いつかは自分も、打ち首獄門と、極悪人の自覚がある設定でした。

この内容にあこがれたり、見習ったりした訳ではありません。子供でも異色のドラマと理解し見ていました。    

次第に無難な作品になり、藤田まことさんのシリーズが終わる頃、仕事人は完全に正義の味方に。勧善懲悪の物語に変貌を遂げました。 

今、仕事人らしい人がいるとすれば、正義の味方のつもりでしょうか?

私は初期の必殺シリーズのほうが、好きですね。新しい時代劇を作ろうとする、創作意欲と迫力にあふれていました。今に続く必殺シリーズですが、フィクションで江戸時代でも、あり得ない職業でした。殺し屋ですからね。今の警察は、死刑判決が予想される容疑者でも、大ケガを負うと懸命に治療し、生かして逮捕、裁判にかけ、刑罰を決めます。これは江戸時代からの、日本の伝統だったようです。

 

歴史番組を見ると、傷付けず生け捕りにするための道具が、様々ありました。蘭学者 高野長英は、捕縛の際、暴行され亡くなったそうですが、滅多に無い事。大捕り物をしても、必ず生け捕りにし、自白させ、お白州に掛けたそうです。拷問で自白させるのは・・・と思いますが、生け捕りと自白に、こだわるのは、江戸時代から続いているようです。

 

昔から日本人は、ほぼクロと決まっていても、すぐには殺さず、正当な手続きを踏み、裁きを下す事を尊びました。これが日本人の気質なのだと思います。江戸時代にもいない、必殺仕事人が、現代の日本にいるのか?しかも公権力のお墨付きを得て?一般人が密かに実行?あり得ないと思います。都市伝説の噂に過ぎなくても、公権力への信頼が揺らぐので、あってはならないと思います。

 

犯罪者の保護と、曲解しないで下さい。日本は、手続きを踏んで裁きを下す事を尊ぶと言う内容。

 

京都アニメ放火の犯人は一時期、全身の痛みに耐えて寝たきり。法廷では車椅子に乗るまでに回復。裁判をして死刑を執行するため、生かされた。

 

犯人にしてみれば治療せず病死、事故死のほうがマシだったと思う。犯罪者に甘いのとは違う。

 

この記事も、いろいろな理由を付け、否定されているような気がします。「役所のお墨付きはない。」を否定したい?元々テレビやネットが情報源と書きましたが、私が知ったかぶって書くこと自体、気に入らない?

 

2024年1月21日追記。記事投稿時、事実関係を確認しながら書きましたが、当時簡単に検索結果に出たことが、なかなか見つからない。これは皆様も同じだと思うので、江戸時代の様子は私が勝手に作ったと思われていませんか?情報源は主に作家吉村昭さんが高野長英さんを解説した歴史番組。吉村昭さんが高野長英さんの大ファンで、高野長英さんになりきって書いたのだろうと、印象深かった。江戸時代の捕り物、お白州は、他の番組でも見ている。

 

 

 

「咎人(とがにん・罪を犯した人)は生け捕りが原則」と書かれた物は、今回ここしか見付からなかったので、転載させて頂きます。