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滴り落ちる、光の実。
 
これは光の枝葉の先に実る、光実としてあります。
 
 
。。。
 
 
 
 
権力環境由来の高波動であった、私たちの体には、
 
光を貯蓄するための器官がありません。
 
 
 
 
光の根源、光の器、光の大元。
 
それは全て、神社やパワスポなど、
 
精霊を閉じ込めた器としてそれがあり、
 
私たち日本人は、その大元にある光を、
 
自分に流入させることで、それを持つことができました。
 
 
 
 
それは人工的に作られた光のダム貯蔵から、
 
新たな支流を作り自分のエリアに引き込むようなものであり、
 
参拝や祝詞や儀式、
 
もしくは相似の何かしらでつながりを強く作ることで、
 
自身を摂社化することで、光の流れを自分に引き込み、
 
光が流れ込む良い状態を作ってきました。
 
 
 
そしてそれは、流れてくるまま、
 
ただ日々の生活のため、自身のため、
 
消費するだけに使われます。
 
 
上流の光のダムが多かろうと少なかろうと関係なく、
 
他の支流より常に大きく太くを望み、
 
そして枯渇すれば、あっちこっちと他の大きなダムに乗り換え、
 
新たな光の流れを引き込みます。
 
 
 
 
日本人は常に、光の消費者であり、
 
光を増産し、貯蓄するのは神社などの仕事であります。
 
 
神器に神として縛られた精霊は、
 
遷宮や浄場によって手厚くその光が維持され、
 
祝詞や儀式によって光を増幅量産し、
 
その器に大きく溜め込みます。
 
 
 
日本人は器から溢れた光の本流を、
 
贅沢に貰い受け、
 
常時消費する行為は、
 
蛇口を閉めることなく流すままにある、
 
掛け流しのようなものでありました。
 
 
 
そこに光を溜める構造はなく、
 
光の生産増幅はまるっと本宮に任せ、
 
ただただ享受することだけを本懐とし、
 
光は、多くの日本人にとって、
 
一方的な消費物としての扱いしかされなくなり、
 
消費する以外の扱いを、損失しています。
 
 
 
 
。。。
 
 
 
 
環境由来の光は、
 
誰かがそれを作り、守り、維持してきました。
 
 
 
スピリチュアルが好きなものたちが、
 
過去の宗教の歴史や建築物、現代の宗教施設、
 
過去の叡智や伝記、それらに一生懸命になったのは、
 
光の生産者にその光の支流を繋げるためのものであり、
 
そしてそれは、決して、
 
生産側に立とうとしていないこと。
 
 
 
権力環境由来の高波動の中では、
 
もし生産側に立ち、光のダムを作ろうとするならば、
 
大きな建築物や大掛かりな儀式が必要であり、
 
それを一個人で抱えるには、
 
維持するコストもリスクも大きくかかり、
 
結局、富豪たちの裏の作為でしか、
 
新たな生産者を生み出すことができませんでした。
 
 
 
 
 
 
そして今、
 
権力環境由来の高波動は、一度リセットされ、
 
日本の全てが波動落ちをし、
 
光のダムは全て、その光が抜かれました。
 
 
掛け流し状態だった支流の光も枯れ、
 
日本人に流れる光の奔流は失われます。
 
 
 
 
ですがここで、環境由来から、
 
個人単位での光の抱卵が始まりました。
 
 
 
肉体の内側で、光を抱えること。
 
 
 
今までオートメーションで掛け流されていたものを、
 
個人のものとして内側に所有することは、
 
光との新たな付き合い方が問われます。
 
 
 
 
無限にあったそれでなく、
 
ただ消費物として使うことだけしか知らなかったそれを、
 
 
自分自身を光の器として、
 
個人個人に根付いた光の樹として、
 
きっちりを見直すこと。
 
 
 
 
環境由来は、そこにいるだけで、
 
だれでも一定の最低限の光を得ることはできました。
 
みんな同じように光の共有が勝手にできていました。
 
 
 
ですが個人由来のものは、
 
個人個人の光の向き合いによって大きく変わります。
 
そしてそれは、肉体の内側にあることで共有されることがなく、
 
たったひとりの世界の中で完結します。
 
 
光の個人差が大きく生まれます。
 
 
 
 
そしてそれが点と点がつながり、
 
ネットワーク化し、全体が高波動化しても、
 
肉体の内側にある光が故に、
 
以前のように、意識だけが肉体から半分抜け出ることはなく、
 
肉体ごと波動上げが動くことで、
 
以前と同じ高度になることもありません。
 
 
 
以前より低い位置ではありますが、
 
肉体と共に上がる高波動化は、
 
個人の境界線を保ったまま光は維持され、
 
結局、
 
その人が光をどれほど抱えれるかは、
 
その人がどれほどそれに向き合ったか、
 
ということとなります。
 
 
 
 
 
 
自分の内側で光に向き合ってきたもの。
 
以前のように消費するために光に接続しようとするもの。
 
 
 
 
ここから、この2つに分かれることでしょう。
 
ですがこれは、神社と個人の関係ではありません。
 
 
個人と個人の関係性となり、
 
消費するためだけに接続されたならば、
 
一人分の光の消費など、あっという間であります。
 
神社のように、大きなダムではありません。
 
 
 
せっかく抱えることができた光は簡単に枯渇し、
 
そして消費した側も大切にすることなく簡単に消費し、
 
すぐにまた枯渇に戻ります。
 
 
 
 
。。。
 
 
 
 
内側の光は、全て個人の範疇であります。
 
自分でその光を見つけ、育て、慈しみ、
 
邪気を祓い、清浄さを保ち、祈りを自分に施すこと。
 
 
 
以前の消費のためのセオリー、
 
自分を神として扱うのではなく、
 
 
自分の内側の光に、
 
光を当てること、守ること、維持すること。
 
 
 
肉体の境界線がある限り、
 
それは私たち個人の事案でしかなく、
 
それを選択するかどうかも全て、個人の裁量であります。
 
 
 
 
。。。
 
 
 
 
消費するものがなくなり、
 
環境光を失った私たちは、
 
自身の内側の暗闇になにが光るか、光が留まるのか、
 
そのあり方やその対応が、わからずにあります。
 
 
 
 
光のきっかけとなるもの。
 
 
 
肉体の地脈血脈に、精霊の針を通すこと。
 
そうすることで、
 
自身の素質やスキルなど精霊と共鳴するものに、
 
自身を幹として、光の枝葉が広がっていきます。
 
 
そしてその精霊と共鳴する素質やスキルに、
 
その光の枝葉にたっくさん光を注ぐことで、
 
光の果実がその枝先に実ります。
 
 
 
この光の果実は、光の貯蓄です。
 
光実がたくさんあればあるほど、
 
内側には光が多く留まり、
 
自分自身の内側を眩しく照らします。
 
 
 
そして多くの実りがあれば、
 
他者にも分けていくことが可能となります。
 
 
 
それは自動で無駄に消費されるだけの掛け流しではなく、
 
自らの意思で手渡しされるものであり、
 
食べたなら美味しいと肉体が喜ぶ、
 
身につく光として、尊重されることでしょう。
 
 
 
 
ぜひ消費の光ではなく、
 
内に育つ光を選択していきましょう。
 
 
 
精霊の針をそのきっかけとして、
 
お使いください。
 
 
 
 
 
 
・内なる秘祭。
 
・精霊の針を個人の資質、スキルの地脈に通すことで、
 内側の光の枝葉を構築します。
 
・料金 3万円。
 
 
 

mie. 

 
 
 
 
 
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・胎内転生フルセット。
 
・4つのワーク、
 エナジーの回収から転生、スキル共有まで、
 一連の流れを提供いたします。
 
・料金 12万円。
 
 
 
・霊的ホットライン。
 
・亡くなった方、もしくは近くにある霊的存在と、
 スキル共有の繋ぎを動かします。
 
・お好きな金額をお納めください。
 
 
・精霊オンラインサロン。
 
・ビデオ通話などでの交流。
 日常のこと、なにかしらのテーマなど、
 お話しする中でその人に必要な点が打ち込まれます。
 (メッセンジャー、Zoomなど)
 
・80分(40分×2コマ)4万円。
 
 
 

 

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