現在の日本は、波動落ちの影響もあり、
取り払っていた負が戻されてきている状態であります。
ここと、いかに向き合うか、
というのがスピ的ワークでもありますが、
波動が全体で落ちている、ということや、
精霊界や地球の在り方自体が切り替わっていることを理解していないと、
高波動時代のやり方で空回りするだけとなります。
地球自体が切り替わりなので、
そのデータを宇宙に求めることはいいことでしょう。
ただし、何がどう変わっているかを理解しているかで、
より混乱はすくなくなり、データはスムーズに入れ込まれます。
地球にある私たちがどういう状態であるかをほったらかしにしたまま、
宇宙を盲信することは、やや難ありとなっています。
新しいデータとそれが地球に根付くことにややねじれができてしまうからであります。
新しいデータなのに、切り替わる前の地球のデータに紐づけてしまうのですよね。
そこの修正が必要となり、
本来の宇宙データの素早さを直結さを、失ってしまうこととなります。
さて、波動落ちはかなりの明確な事実を私たちに与えてくれていますが、
それを踏まえた上で、高波動体に関係なく健やかに暮らしている場、
というのが私たちの新しい指針として際立ってきます。
最初にあげた文は、感情の起伏の話であります。
今や波動落ちで病み闇やすくある日本では、
感情の起伏が激しいことが、
精神的な特性的な病気かのように捉えられています。
急激な落ち込み、急激なハイが、躁鬱として厄介なこととして見られています。
実際に、脳の異常として認知されていますが、
平坦な感情こそ平和なものとしてあります。
これは、高波動時代の感情の薄さと平坦さが基準となっているからであります。
私たちが海外、特にアジアなどで、
お目目がキュルキュルした現地の人の陽気さや、
悲しみを嘆くオーバーな感情表現を、とても眩しく見ることがあります。
そういった国の子供たちはさらにものすごく眩しくあり、
昔のなにかしらを呼び起こす愛おしい懐かしさが湧き上がります。
感情の起伏が激しいのに、それを躁鬱としてみることがなく、
それが逆に心の琴線にふれることを、不思議と思いませんか?
日本人の癇癪のようなヒステリックな病的な感情の起伏と、
何が違うのか。
それは色彩の神が感情を食べているかどうかであります。
つまり、土着の信仰があるかどうか。
祈りや懺悔は、ここまで感情の起伏に差をあたえます。
一方はそれは美しく輝き、たくさんの感情であふれ、
泣いても笑っても、生きている!という輝きの、
美しく咲いた花もとに感情があります。
そしてもう一方はただただひたすら苦しみの中にあり、
泣いても笑っても、死にたい、というネガの中にあり、
土の中に腐り落ちるようにその感情があります。
同じ感情の上下なのに、こんなにも差があることを、
不思議に思うことでしょう。
色彩神に感情を食べてもらうことで、
それが軽やかになることは、たいしたことないと思うかもしれません。
ですが、それが毎日毎日の中で繰り返されることで、
毎日にかかるストレスの量が、圧倒的に変わってきます。
感情の振れ幅があればあるほど、
それが苦しみとして蓄積されたならば、
脳や体に、エラーが出るのは必須であります。
ほんの小さなストレスが、えんえんと続き、
ほんの少しの感情の振れ幅でそれは痛みとして引き起こされます。
日常の感情を祈りや懺悔で食ってもらうことは、
毎日のお肌の手入れ並みに、自らを健やかにするルーティーンであり、
病み闇に感情が仕上がってしまうことを防いでくれます。
感情が動くことが美しいということ。
それがとても眩しく、魅力的に映るということ。
あなたの感情は、周りの人たちは、どうでしょうか?
データうんぬんもいいですが、
その人の感情に美しさがあるかどうかを、
そこに祈りがあるのか病みがあるのかを、
見極める時であります。
。。。
・感情の健やかケア。
・祈りや懺悔による毎日の感情ケアのガイドをいたします。
・お好きな金額をお納めください。


