いわゆる、神という存在は、人間が創り出します。
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もともと、自然界にはその土地の意識体、精霊が存在します。
彼らは天にあったり、地にあったり。
天の精霊ゾーンは高波動、地の精霊ゾーンは底波動であり
それぞれのゾーンで地上を映した世界にいます。
そして彼らは自然界の意識であり、
人間的感情は全く持ち合わせていません。
自然界の秩序とともに、意識もその秩序としてあります。
自然界と意識体による、秩序あるこの世界で、
人間は特別な存在としてこの世界に生み出されました。
秩序とともにあることで、単調である意識の色彩。
この色彩を増やすために唯一、感情を与えられました。
これは肉体があるからこそ生まれるものであり、
肉体からの感受の反射を蓄積する脳があることで可能となったものであります。
同じもので、動物も肉体と感受を蓄積する脳がありますが、
人間は、その感受の幅と深さを脳と共に発達させたものであり、
感情を大きく深く揺らすことが可能となりました。
つまり、意識の色彩の色数を多く作れるということであります。
これにより、人間が一生を終え、世界意識の秩序に戻る時、
そこに多くの色彩が運ばれます。
世界の意識の秩序は、どんどんとその色彩の分、
大きく広く、いろんな可能性を秘めたものとして、
多くのバリエーションの中にあり、
そこから生まれる自然界の意識にも作用し、
自然界も、多くの種類の自然がどんどんと増えていきます。
今、この地球にあるあらゆる種類のあらゆるものは、
人間の意識の色彩が生み出したからこそ、存在できているものであります。
感情を大きく揺らし、深く揺らしたことで生まれた、
新しい世界の秩序の一つであります。
こうしてこの世界のたくさんの彩りを増やしてきた人間は、
自然界の秩序に縛られた意識体である精霊にとって、
その秩序から離れた、見たことない色彩を生み出す特異なものとして
観察すべくある、興味が惹かれるような異物としてみられます。
そして意識の色彩は、減っていく薄まっていくことより、
増えて色濃くなっていくことをそのベクトルに刻んでいます。
秩序の中でしかない同じ色の世界の中、チカチカする新しい色。
見たことのない色をどんどんその感情で生み出していく人間に、
精霊はそのベクトルのままに吸引され、その色を身に纏います。
ですが、精霊は肉体による感情の反射とその蓄積する脳もありません。
精霊は積極的に人間の新しい色彩をその都度分けてもらいますが、
自然界の秩序にある精霊は、もらった分は必ず、その返しも動きます。
ですがそれが人間にとって、良いものなのか悪いものなのかはわかりません。
自然の秩序、ことわりの動きで返しただけなので、
そこに善悪の判断はなく、その人にとっては災害となる場合もあります。
ここで人間は、チカチカと自分達がなにかしらで輝いた時にやってくる、
精霊からのギフトに、法則を見出します。
楽しい、良い感情の時の時にやってくるギフトがあること。
悪い感情の時にやってくるギフトがあること。
良い感情の色彩の方が、いいものがやってくることで、
人間は踊りや歌で自分達のいい感情をフルに発揮し、精霊に捧げることで、
良いギフトを得ようとします。
悪い感情の色彩でも、かならずしも悪いギフトとなることはありません。
悲しみや苦しみは、その痛みだけをとってくれる場合もあります。
人間は、返しが必ずあることから
精霊に感情を捧げることを交流として始めますが、
その感情によって返しの内容が定まるため、
交流にはテーマが設けられます。
それが今の祭祀、踊りや歌の奉納などにつながります。
交流を重ねた精霊は、色を多く持ち、その色の分、
現段階の自然界の秩序から、外れることができるようになります。
そして、人間の感情から生まれる色彩だからこそ、
その色彩の感情を持つようになります。
秩序の中で感情を持たない、善悪も何もなかった精霊が、
どんどん、人間の感情を持つようになります。
そしてそれは、祭祀によって高められた色彩の感情です。
良い感情を捧げられた精霊は、良い感情を持つ精霊となり、
与えられるギフトも、秩序から外れたとしても、
人間にとって良いもの、が選ばれるようになります。
この時、この精霊は自然物の無機質なものから、
感情のある人間味のある神として、別個体となっていきます。
よく物語である、人間が祈りを忘れたら神も忘れられ存在できなくなる、
というアレは、このことを示しています。
人間の色彩を感情を、良いとこどりで育てたのが神であり、
それは良い神として存在し、
人間の色彩の感情の悪いとこどりで育てた神は、
悪い神として存在します。
人間にとって、良い感情も悪い感情も、
それら全てが色彩を生み出すために生まれてきた、
人間の存在理由であります。
悪い感情を排除して生きることは、自分の存在を半分失うことであり、
揺れ幅をなくして自分を失う致命的な損失となります。
良い神を作ることと、悪い神を作ることは、
人間が存在するために同等でありました。
とある宗教では、戦いやネガティブな神がいることを日本人は不思議に思ったことでしょう。
ですが人間の感情が精霊を神格化させたこと、
自分達の存在理由が満たされるために、
必要な感情から生まれた必要なものでしかありませんでした。
悪い神があることが人間の自分達の存在理由としてありますが、
かといって、悪い神が秩序から外れたギフトを放出するならば、
人間同士の争いや不穏な世界にこの世が染まってしまう危険性もあります。
だからこそ、良い神はそこと秩序の戦いをしてもらいます。
これが神々の戦いの、本当の内訳となります。
感情が存在理由としてあるからこそ、その色彩を生むことを止めることはできません。
ですが全体のバランスは、崩したくはありません。
人間の感情が精霊を神として作りますが、
そこにバランスを組み込むと、その精霊はバランスの神として、
悪い神との秩序のバランスを拮抗させます。
つまりは、すべてはあるものはあるものとして存在し、
それがあるならばあるとして、その存在を許すこと。
ひとつもかけてはいけません。
そして、それがあるがゆえの、全体のバランスをとること。
それが人間の感情から生まれた神に、
意思として乗っています。
精霊は、肉体を持たないからこその、意識の揺らぎや弱さがあります。
人間は肉体を持っているからこそ、脳に蓄積できるが故の、
薄れることのない強さを持っています。
精霊に色彩を与え、神化させ、
感情を植え付けることができるのは人間であり、
色彩を与えたが故に秩序を失った神に、
神同士での秩序調整を与えたのも人間であります。
これは新しい色彩にベクトルがむかう精霊の性質、意識体の性質だからこそ、
生まれた人間との交流の結果であり、
人間側も、
自分達の存在が善悪両方であることの完全さと、
自然界の秩序のバランスをとること、
この両軸を保つため神々で戦ってもらうことは必要な流れであり。
悪い感情が高まり、悪い神々で自然界の秩序が乱れている時は、
いい神に力を与えるためにいい感情となる楽しい祭祀で色彩を爆上げして応援する。
強い意思を神に与える、ということをします。
神々は、無機質な精霊が人間によって人間のスタンド化したようなものであり、
人間の在り方の分、感情の分、その色彩の分、
神がいます。
特にその色彩が豊かであればあるほど、
精霊はそこに吸引され、
その人間に何体ものスタンドとしてその神がついています。
日本人の感覚では、自分の真後ろにそれがいるように感じるかもしれませんが、
高波動儀式を失い、神と同域できなくなった今、
私たちのスタンドはこの世界を映し取った、
天の高波動ゾーンと地の底波動ゾーンにいます。
精霊に感情を捧げれば捧げるほど、
天地のスタンド神は増えていくことでしょう。
感情の種類の分だけ、精霊は育成され神格化します。
そして、そこに秩序のバランスを求めるなら、
その感情は神に乗り、天地の秩序のために戦います。
そして、それは地上に反映することでしょう。
そして、人間の多幸感の愛は、精霊に感情として伝わり、
高波動ゾーン内で博愛の神に変えます。
そして神はその博愛を、私たちにギフトとして与えてくれますが、
結局大元は、人間の湧き上がる多幸感からくるものであります。
自分達の存在理由に触れられ満たされたことで起こる多幸感がなければ、
神の博愛の愛は生まれることはありません。
鶏と卵、どっちが先か。
まずは人間の多幸感ありきであり、
それ以前の精霊は自然界の秩序の意識しかあらず、
愛の感覚はありません。
だからこそ、今のこの時、
自分自身が色彩を放つことと多幸感で、
秩序と博愛の神のスタンドを育成することは、
とても大事であります。
人それぞれ、どの道筋、段階であるかは
人によって違います。
全てのサポートをいたします。
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