瞬間瞬間、外の世界に触れるたび反射するわたしたちの感情。
それはたゆたう水面に反射する光のように、一瞬一瞬のきらめきが内包されています。
私たちが水面のきらめきを美しいと思うように、
精霊にも、私たちの感情がそう、見えています。
外の世界のいろんなものに触れて揺れ、反射するそれは、私たちの生きる意味であり、
精霊たちの生命と同軸であり、
それを止めることは、
人間にも精霊にも、
その生命を止めることとしてあります。
感情の反射を止めること。
なにも感じないようにすること。
耳を塞ぎ目を閉じ、外に対するすべての反射を停止させたものは、
どんどん、その生命を弱らせます。
感情の反射のために生きている私たちが、その感情の反射を止めることは、生きる意味を失うことです。
それは精神や肉体に直結し
「緩やかな終わり」として認知され、
全てが鈍く脆くなり、あちこちの機能が止まっていき、生命を終わらすことに真っ直ぐに進んでいきます。
生きていることに、自分で終わりを突きつけているような状態であります。
外の世界に反応しないように、
カチカチに固めてしまった感情は、緩やかな死の準備に入ります。
ですが、緩やかな死が蓄積し、
直接の死と結びついたとき、
死を拒否する強い感情が生まれると状況は一変します。
外の世界に反射して生まれた苦しみや悲しみから、その感情を止めていましたが、
内側の、自分の中の死を感じ、その恐怖が外の世界からの苦しみを上回ったとき、
感情の堰き止めは崩壊します。
このとき、本人は混乱します。
自分で認知していた外の世界の怖さ、であったものが、
自分の内側から沸いた死の怖さで全てが津波のように巻き込まれ、
とにかく怖い、パニック、という感情が暴走するのです。
しかも、内側からのもの、感情を止めたことでの死の指令のことだとは誰も気づきません。
今まで感情を止めることで回避できていた外の世界が、
恐怖の暴走を引き起こす世界となり、日常が崩壊します。
一度これが起こってしまうと、
感情を止める、それが溜まる、
恐怖が溜まる、パニックとして発露。
として、このループが作られます。
。。。
感情を止めると、自らが死の指令を精神と肉体に出したこととなります。
それに気づかず、実際に死が間近に迫ったとき、死の自覚の恐怖を自ら生み出してしまいます。
その際、その恐怖によって感情の暴走が生まれます。
なんであのとき、そこまで怖かったんだろう、
なんであんなに怒ったのだろう。
蓄積した死の指令の分、感情は一気に膨れ上がり、自分自身を乗っとります。
私たちは今まで、
ある程度停止して社会に適応し、
ある程度溜まったら解放しリセットしてまた停止させる。
という、軽い程度で済ますループを作ってきました。
それが社会に適応した大人として、
うまくストレスを解放してリセットしていく方法が取られていました。
ですがそれも、今の私たちには困難なこととしてあります。
あまりにそれを繰り返していることで、精神と肉体にそれが蓄積され、
死の指令をリセットしきれないようになりました。
人生の中で、トータルであまりに停止させる時間が長すぎるのです。
しかも、感情停止はそこまで悪いことではなく、
なんなら外から自分を守るための自衛手段として大人として社会に認められています。
死に直結してる事とは誰も気づいていません。
外から自分を守っているつもりで自分を積極的に壊してる事に対して、
あまりに無頓着となっています。
。。。
感情の反射の豊かさはそのまま、私たちの生命の豊かさと直結しています。
生命力に満ちている人は、感情が豊かである人です。
沖縄の人を見てみましょう。
彼らは先祖霊たちに自分の感情をフルで開示しています。
お墓で宴会し、悩んだらお墓に相談に行き、何もなくともしょっちゅう話相手にお墓にいきます。
彼らの感情の豊かさ、自分大好き感、そして他者への愛の深さは、感情が心として育てられてきているからであります。
傷ついても傷ついても、痛みは先祖霊が引き取ってくれ、
感情を止める必要がなく、
だからこそ、常に真っ直ぐな感情、心があります。
感情を常に反射の状態にすることは、むき出しの私たちには、とても恐ろしく感じることでしょう
ですが、だからといって感情を少しでも止めることは、
本来、やらなくていいことです。
止める、リセットする、また止める、というループで生きている人は、死の指令がどんどん自分の感情を歪めています。
リセットできないものが必ず、積み重なります。
今の自分は、沖縄の人のように
感情豊かに陽も負も反射してますか?
感情の反射神経はキレキレキラキラですか?
心を作ることを傍観者でいてはなりません。
私たちは沖縄の人のようなベースが全くできていません。
そのままループをつづけ、やんわりと全てが鈍く、生命力を削る生き方となるだけであります。
ネガティブでもポジティブでも、
むき出しの感情の暴走と、
心のある感情の反射は、全く違います。
木漏れ日の水面のようにそれがキラキラと美しく感じるなら、
ネガティブでもその儚い一瞬が尊いと感じるなら、
それは心がある状態の感情反射であります。
見苦しいだけの興奮のポジティブや、
目も当てられないひどいネガティブなら、心が全く育ってない愛の位置が狂ってるものとなります。
そして常にそれには、死の指令が含まれている時限爆弾のような危うさもあります。
感情の開示を、積極的に行いましょう。
感情反射を、常に行えるように復活させましょう。
私たちのロールモデルは、沖縄の人のイメージです。
心の沖縄、育てていきましょう。

