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私たちは、日本という国の巨大な集合意識に、

 

自ら飛び込んで、囚われ、居続けています。

 

 

今までそうすることで日本人として、

 

能力を高めながら生きていくことができました。

 

 

この日本という国の集合意識。

 

その脳の拡張は、無意識下の占有でもあります。

 

ここでは全て、日本語での拡張となり、

 

ここにいるだけで、

 

私たちは他の言語を脳内でイメージすることが困難となります。

 

 

スムーズに学ぶためには、海外へ行くこと。

 

もしくは、日本の国内に小さな英語圏の集合の島をつくること、

 

などすることで、ようやく頭に入るようになる、学べるようになり、

 

言語一つとっても私たちは集合意識に大きく影響され

 

無意識下に深く根深く、巣食われており、

 

そして私たち自体も集合の脳のパーツの一つとして、

 

誰かの意識を、巣食うことをしています。


 

 

 

そして、日本という国の一つの大きな集合意識から、

 

都道府県、ほかにも地域や学校職場、家族親戚、

 

友人趣味仲間など多くのジャンルと

 

多くの大小の規模として、

 

集合意識は乱立し重なり合うように存在し、

 

現れては吸収されかき消されてはまた現れと、

 

粘菌のように蠢きながらそれはあり、

 

巨大になるべく相手を食らおうと、常に対立の中にあります。

 

 

 

私たちはその重なり合う集合意識の中を泳ぎわたり、

 

勝ち組に溶け合うことで渡りをつけ、生き残ろうとします。

 

 

 

なにと溶け合うか。

 

その選択権が自分にあることで、

 

私たちは自分が優位である、自由であると誤認していますが、

 

それは見えるだけのものとして、

 

ほんの少しのものでしかありません。

 

 

私たちの生活の人生のそのほとんどは、

 

一つの大きな逃れられない集合意識で、

 

そのほとんどを占められています。

 

 

 

いくら個人であったとしようとしても、

 

自分自身であろうとしても、ワークをいくらしたとしても、

 

日本という国の巨大な集合意識からは、

 

日本にいる限り、逃れることはできません。

 

 

 

 

これは私たちの根っこにある素晴らしい文化としてあるでしょう。

 

もしくは誇りとしてあるかもしれません。

 

それをいいこととして、ゆるされているのが、

 

日本の国という集合意識の占有であります。

 

 

 

 

 

意識の共有、意識が溶け合っていること。

 

それはとても理知的で有意義なこととして、私たちは見ています。

 

それが進化の先にある成長点として、私たちは見ています。

 

ですがこれがある限り、

 

私たちは自分自身としてあることは決してできません。

 

 

 

 

あらゆるものと溶け合うことで、私たちは知見を得て、

 

進化成長してきました。

 

神の領域にも、溶け合いその力を得てきました。

 

人間以上の能力を得て、人間以上の知見を得ました。

 

 

日本人は、個としての純粋な自分を失うことで、

 

進化し続けることをしてきました。

 

 

 

 

  

ですがここで、その進化の仕組みは止められます。

 

人間の外側のものたちが、全ての環境の仕組みを変えていったのです。

 

 

 

見えない力で作り上げていた集合意識は、

 

その外側からの効力を失います。

 

 

いつでも私たちはすぐに、個としてバラバラにあることができますが、

 

私たちはその集合を解くことができずにあります。

 

 

 

私たちは、複合体として完成された人間であります。

 

集合から離れることは、複合されている人間自体も、

 

バラバラになってしまうことを意味します。

 

私たちは自分自身として完成されているものを、

 

無にすることをためらいます。

 

 

 

 

 

宝石の国のフォスフォライトは、色々な鉱物と溶け合うことで、

 

できることが増え、頭脳も明晰になり、進化していき、

 

そして最終、金剛と混じることで神格化しますが、

 

新しい世界に、その自分を持っていくことはできませんでした。

 

 

 

今、私たちも同じであります。

 

 

 

 

集合意識のない世界に、私たちは移行していますが、

 

そこに他者と混じった複合化されている私は、

 

持っていくことができません。

 

 

 

「混じった人間のいないところ。」

 

「私だけしか、いないところ。」

 

 

 

その純粋なひとかけらしか、

 

私たちは次の世界に持って行けないのです。

 

 

 

 

 

 

私たちは、現在、そして過去も含めて、

 

あらゆる集合意識に溶け合うことをし、

 

そこに入るためのアクセスキーを常に持っています。

 

 

私しかいないもので私を構成する時、

 

それらは全て捨てられ無効化されます。

 

あらゆるつながりが失われます。

 

 

国の意識から、家族、親子感の意識まで、

 

全てのアクセスキーは失われ、

 

溶け合う部分の自分を、全て無くし、

 

そこに紐づいた全ての人生も無くします。

 

 

 

 

この時、圧倒的な孤独と境界線の中で、

 

静寂の暗闇に襲われまが、

 

わたし自身はそれをとても喜んでいます。

 

 

 

 

日本人、みんなそれぞれ、

 

次の世界に持っていけるのは、溶け合いの全く行われていない、

 

とても小さな小さな、私しかいないところの、カケラであります。

 

 

 

 

溶け合うことで肥大化してしまった思考、

 

複雑な回路、おごりや傲慢な思念は、

 

太りに太りきった、過分な持ちきれない荷物でしかありません。

 

自分自身だと思っているそのほとんどが、

 

その持ちきれない荷物であり、

 

私たちはそのほとんどを旧世界の消滅に、付き合わせることとなります。

 

 

 

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

集合意識からの完全なる分離は、

 

思っているより強烈であり、

 

私たちの自分自身としてあるそのほとんどを、

 

無くすこととなります。

 

 

 

わたししかいないところの、その抽出は、

 

つながりを大切にしてきた人、依存してきた人、

 

集合の力でなそうとしてきたひとほど、

 

無くすものが多くあることでしょう。

 

 

 

 

この、だれも含まれていない、私しかいないところだけを、

 

自分のおもてとする。

 

これを天地ディスクのように、カードで抽出するワークをします。

 

 

 

 

・私しかいないところの抽出。

 

 

カードを引き、後日画像を送付します。

 

 

・就寝されている時間帯に行います。

・6万円の価値となります。

 

 

  

 

mie.

 

 

 

 

 

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