大海にそそぐひとつの流れに、

 

風に吹かれて浮かぶ花筏。

 

 

 

 

一匹の蛇が、その流れに泳ぎ付き、

 

ひとつのためらいもなく、

 

水面に落ちいた花びらを、

 

その大きな口で、ごくごくと呑み込みます。

 

 

 

 

 

美しさの成れの果てを水とともに全て飲み込み、

 

散り終えた花は蛇の腹で消され化かされ

 

水蛇は大蛇と育ちゆきます。

 

 

 

 

 

 

すべての善意も悪意も、ひとつの花として、

 

終焉の花びらをその水面に落とします。

 

そしてその終わりは糧として、

 

つぎなるものの腹に収まります。

 

 

 

 

 

 

一匹の小さな蛇は、大蛇となるべく、

 

今、あらゆる終わりを呑み込んでいます。

 

蛇にとって、それはどれもこれも、

 

かつて咲き誇った花がなんであれ、

 

終わりに落ちいたものでしかありません。

 

 

 

 

 

 

どれもこれも、おいしそうに、呑み込んでいることであります。

 

 

 

 

 

 

 

人間は、もう自力で終わることができません。

 

 

終わりの始末の仕方すら、無かったことにしていたからです。

 

人間はただひたすら、人間の欲が続くままに、

 

コンティニューの続きの構築しかしませんでした。

 

 

 

 

 

人間のあらゆる終わりは、全てこの蛇に託されました。

 

勝手に落ちた花を呑み込み、太らせることで、

 

蛇の腹で循環の拡大が行われます。

 

 

 

 

 

地に任せるより早く、大きく、それらは周り、

 

終わったことによるその生み出しを、地に落とし続けます。

 

 

蛇は花の卵をはらみ、

 

地中にひとつひとつ、落とし産んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

すべての悪いことの流れは全て、終わりへの供給であります。

 

そして良いことの流れも全て、終わりへの供給であり、

 

全て蛇の腹に入ることで、結局同じところにあるものであります。

 

 

 

 

 

 

私たちはただ、蛇の腹におさまるところを、

 

眺めることしかできません。

 

散りゆく花に想いを載せても、

 

その想いごとすら、終わりの腹の中であり、

 

なんの情緒もありません。

 

 

 

 

 

 

私たちは終わりをなくし、

 

終わりを骨の髄まで感じることができませんでした。

 

今までの終わりの意味の刷り込みのまま、

 

絶望をそこに見ますが、それすらも、

 

蛇の腹の中であります。

 

 

 

 

 

水面いちめんの、花筏は、

 

全て蛇の腹の中に呑み込まれます。

 

終わりはとてもあっけなく、

 

わたしたちはそれを明け渡すことでしょう。

 

 

  

 

 

mie.

 

 

 

 

 

 

image

 

 

 

 

 

アイテムなどはこちら。

 

 

  

。。。。

。。。。

 

 

・あたらしい世界の始まり。

 日本の波動落ちから、能力の喪失、

 元の人間に戻るためのプロセス。

 

 7月からこのブログはスタートしました。

 ↓まずはここからお読みください。