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桜井みづきのつくり方

フリーライター桜井みづきの自伝っす♪

弟が他界したのは、

私が母の実家に預けられている夏休みだった。


私はその頃から自分の気持ちを抑え込む性格になり、

どんなに悲しいことでも家では泣かなくなった。


「私が泣いたらお母さんが悲しい気持ちになる。」

「私が泣いたらみんなが困る。」

小学生の私の心にあるのは、

ただ、母親を困らせたくないという気持ちだけ。


だから母の言うことはよく聞いた。


母は私に「跡を継いで欲しい。」と言ったことは一度もない。

いつも私の味方でいてくれたから、

「みづきの好きなようにしなさい。」

と子供の頃から私の気持ちを優先してくれた。


でも、母は母で父の機嫌を取らないといけないので、

私と父との間で板挟みだったかもしれない。


私は母のことが好きだけど、

母のようにはなりたくなかった。


小学校は公立の小さな学校。

みんなが同じ制服で、

みんなが同じ習い事で、

みんなで同じことをして遊ぶ集団生活。


私は田舎が大嫌いだった。


「何でみんなと同じでなければならないのか。」

「私だけ別のことをしたらダメなの?」


たぶん小学校の頃から私は浮いていた。


みんなと遊ぶよりもひとりで本を読む方が楽しかったし、

ひとりでいることを苦痛だと感じたこともない。


ひとりで夢の世界を空想したり、

ひとりで話を作ったり、

友達とはあきらかに違う変わった子供だったと思う。


担任の先生は、

私が「小説家になりたい。」という夢を応援してくれた。

他の子が花屋とか看護師とか、

現実的な夢を語る中、

ひとりだけ「小説家」と言った私に、

「みづきさんなら大丈夫。」と強く言ってくれたので、

背中を押されたような気持ちだった。


その頃の父は夢を語る私に対して、

「そんなものでは食べていけない。」

「そんなものなれるわけがない。」

と現実的に否定ばかりしていたので、

私はますます父とは話をしなくなった。


私は小学校の頃。勉強が大嫌いだった。

そろばんとエレクトーンも習っていたけど、

周囲の子が習い事をしていたから、

なんとなく私も始めたような気がする。


昔も今も。好きな科目は国語。

作文の時間は大好きだった。


走るのも速かったから、

運動会も大好きだった。


でも、田舎には飽き飽きしていたので、

いつか絶対にここから出てやるって子供ながらに決意していた。