今年に入り、私は「21日参り」をしています。
21日参りというのは、毎日欠かさず神社へ参拝するというもの。⛩
これは2年ほど前、大好きな作家のひすいこたろうさんがポッドキャストのラジオ番組(ドリプラジオ)語っていたことを、今年に入りふと思い出して実践してみようとはじめたことです



神社というと、よく「願い事をする場所ではない」と言われます。
頭では分かっていても、心のどこかで「願ったら図々しい奴と思われて、神様に見捨てられるかも」「神様に嫌われないようにしよう」と、神様を上に置いて自分を下に置く「崇拝思考」になっている時があるような気がしてました。

人それぞれ、神様との向き合い方があっていいと思うけれど、私は、上下関係がある世界や、誰かを崇拝するような世界観が苦手です。
尊敬する人はいるけれど、崇め奉る精神ではなく、「この人のこんなところが好きだな」という純粋な気持ち。そこに依存はありません。
神社も、それと同じでいいと思えました

神社がなぜ神聖な場所なのかというと、自然の周波数「1/fゆらぎ」を感じられるところだから。





朝、神社へ参拝してから仕事をするのが習慣になり、肌感覚で分かったことがあります。(感じたことなので言語化が難しいのですが)
神社という、1/fゆらぎがたくさん感じられる場所に身を置くと、自分も自然と一体化するような不思議な感覚になるのです。
1. 「崇拝」ではなく「調律」の場
多くの人が陥りがちな「お願い」の裏側には、「今の自分には足りないから、偉い人に助けてもらおう」という欠乏感があるのかもしれません。
対して、私が実感したのは、**「本来の自分に戻るためのチューニング(調律)」**です。
神社の森や静寂、その高い周波数に身を置くことで、日常で乱れた自分の周波数をリセットする。
「こうなりたい」「こう見られたい」という雑音(エゴ)を削ぎ落とし、ただそこに在る状態に戻っていく感覚です。
2. 「エネルギー体」としての神
神社という場所が、特定の誰かが支配する場所ではなく、「宇宙や自然の法則がむき出しになっている高密度の空間」だと捉えると、そこには上下関係はなく、ただ「エネルギーの交流」だけが残ります。
神様はエネルギー体。
そう感じられるようになると、そこに行けばすぐに軽い瞑想状態に入れる感覚になりました。
3. 「お願い」と「インスピレーション」の違い
整った状態で「ふと思いつくこと」は、外側の誰かから与えられた命令ではなく、自分の奥底から湧き上がってきたシグナルなのだと思います。
• お願い: 「外」に解決を求めること
• 魂の目的: 「内」から答えが浮上すること
我をなくし、自分本来の周波数に戻って整う。
そのとき浮かぶアイデアや方向性は、最も無理がなく、自分らしいルートなのだと感じています。
無理に「崇め奉る」ことをせず、大好きな人を尊敬するように、あるいは心地よい音楽に身を任せるように。
そんな「純粋な好き」の延長線上に神社がある。
21日参りの途中で感じた、今の私の現在地です。