戦い終わって | 気になるニュースチェックします。

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

 

★我が世の春のために

 

日本がアメリカの奴隷となった過程を見ています。

それは明治維新で、孝明天皇父子を殺害し、その後、偽明治天皇を立てた

それらの連中が明治新政府のメンバーとなり、その後、明治政府は

何百万という日本人を奈落の底に突き落とした大戦争に追いやり、

負けてアメリカに占領されました。

 

それから日本はアメリカの奴隷となりました。

戦争に負けた国はたくさんあります。

けれど日本のような奴隷同然の国となったこんな国は

他にあるでしょうか先進国と言われる国で、、、、

その奴隷同然の状態は、戦後今日までずっと継続しています。

異常というほかない。

 

日米安保条約を結んだから、、、、

じゃなぜそんな条約を結ばなければならなかったのでしょう。

徳川幕府を倒した薩長の連中が、みな志士となり明治維新などという

ものを打ち立て明治政府となったころから、日本は狂い始めました。

 

何に狂ったのか、、、、すべてをウソ偽りで固めたことに。

そしてそれを日本人だけでなく、外国人に知られてしまったことで

日本はどうにもならない状況に追いつめられてしまった。

 

 

 

あの頃、伊藤博文は自分たちが犯した犯罪を知られないよう、また

知られてしまった者たちを大根を切るように、スッパスッパと

斬り捨てて行ったといいます。

我が国最初の総理大臣はそういう人物です。

 

伊藤博文がいくらそういう人々を斬ったとて

孝明天皇父子殺害と、身代わり天皇の事実を知っている者は多い

みな自分たちサイドの者ならばいいが、そうでない人々もいる。

そうでない人々の口を黙らせ、永遠にこの事実を知られないように

するためには相手に死んでもらうしかない。

 

そのためには伊藤博文がたとえ10人斬ろうと50人斬ろうと

たかが知れている。

一度に何百人、何千人、何万人と死んでもらうにはあれしかない。

 

爆弾、、、、戦争、、、、、

これならばいくら多くの人が死んでも、誰も不思議に思わない。

すべての邪魔者がこの世からいなくなった時、その時こそ

我が世の春なのだ。

そう考えたことでしょう、、、、

 

それを明治維新からたどって見ていきます。

 

★戦い終わって

 

江戸幕府を倒して生まれた明治新政府、福沢諭吉は

権力は必ず腐敗する、、、、と断言した。

この後、明治新政府は、福沢諭吉の言う通り絵に描いたように

腐敗してゆくのです。

 

戦い終わって成立した新政府集団は、西郷隆盛にとって

倫理や正義の通る集団ではなく、ただ敵が築いた社会を食い漁るだけの

虎狼の群れでした。

 

だからこそ、西南の役を起こしたのです。

 

西郷は幕府を倒して天下を取った薩長を核とする、新政府を

構成したかつての同志に対して、憎悪を抱くまでになった。

その腐敗と権力欲に憎悪した。

 

例えば長州の井上馨(聞多)ごときは、八つ裂きにしてもいいほどの

存在であった。

西郷は井上のことを三井の番頭、、、、という。

 

三井は新政府に癒着し、その他の大商人と共に、財閥にまで肥大化

最終的に日本を破滅にまで追いやる大戦争へと導いた元凶の一つ。

西郷からみれば、この井上だけではない。

 

山縣有朋も木戸孝允も大久保利通もみな同じ、、、、

「これでは手前どもが倒した徳川家に申し訳ない。

 今日の政府の有様を見て、討幕の戦を後悔した」

と言う。

 

新政府の中心、長州閥が腐敗し、その長州閥に対する反乱が

西南の役、西南戦争です。

 

戦い終わって、自分たちはこれからどうしていいのかわからない。

西南の役とは、行き場を失った西郷の自分自身の始末であり

薩摩の終焉であり、御一新後の主導権が薩摩から長州へ移った

決定的な事件でした。

(知ってはいけない明治維新の真実、著原田伊織)

 

確かに明治政府は腐敗し、汚濁にまみれていました。

 

★腐敗し汚濁にまみれた明治政府集団の犯罪

 

🌸尾去沢事件  長州閥による絵に描いたような権力犯罪

  

 これは大蔵大輔、井上馨が官権を悪用し、民間人から銅山を強奪

 するという犯罪です。

 伊藤博文とともに新政府きっての、女癖の悪い井上馨という男は

 非常に金銭欲の激しかったことでも有名です。

 この金銭欲の強い男をなんと、明治政府は大蔵大輔に任命した

 というのだから驚く。

 こんなばかな人事をするのだから、明治政府の性格というものが

 よくわかろうというもの。

 

 こんな男を大蔵大輔にするということは、盗人に財布を預けるようなもの。

 この事件が表ざたになった時の大蔵卿は、大久保利通

 大久保はこの時、岩倉使節団として外遊中で日本にいない。

 その留守を預かったのが井上馨

 その留守政府の大蔵省を井上は、私物化していた。

 

 南部藩は、御用商人の村井茂兵衛から多額の借金をしていた。

 その時、井上は「村井が南部藩から多額の借金をしている。」

 と言い直ちに新政府への返却を命じました。

 借金をしていたのは、南部藩です。

 いつの間にか逆になっている。

 

 この時、井上に指揮された大蔵省も、村井の釈明を一切聞かず

 強引に返済を迫った。

 藩に貸した金なのに、逆に藩から借金したことにされてしまった村井は

 年賦返済を願い出るがこれも拒否された。

 そして尾去沢銅山を没収されてしまったのです。

 

 ●毛利敏彦 日本近代史研究家

 

 やむを得ず村井が、年賦返済を嘆願すると、それを拒絶して

 理不尽にも村井が経営していた尾去沢銅山を一方的に没収した。

 旧幕時代にも例を見ないほどの圧政といえよう。

 村井は銅山経営権を入手するため、多額を費やしていた。

 ここに村井は破産同然となった。

 

 

 こうして悪どいやり方で、尾去沢銅山を没収した井上は、工部省小輔

 山尾庸三に命じて、これを井上家出入りの維新後の成り上がり政商

 岡田平蔵に払い下げさせた。

 井上は大蔵省を辞職後、明治6年8月尾去沢銅山を視察

 そして現地に

 「従四位 井上馨所有地」

 看板を堂々と掲げました。

 

 この尾去沢銅山を入手するにあたり、井上は身銭を一銭もきっていない。

 すべて公金と官権を私的に悪用したものです。

 毛利敏彦氏は

 「出入り商人、岡田を隠れ蓑に使って、銅山の私物化を図った

  極めて悪質な権力犯罪である」

 

 🌸小野組転籍事件 木戸が子分救済に一生懸命になった事件です。

 

 京都府参事、槙村正直が職権を濫用して、小野組が京都から東京へ

 転籍する手続きを不当に妨害した事件です。

 槙村というのは長州閥の大物です。

 

 小野組は京都の両替商として大きく、その校納金は京都府庁にとって

 有力な収入源でした。

 また府庁の役人や京都に縁の深い、木戸孝允の政治資金の源泉でもあった。

 

 それで小野組をいつまでも京都に縛り付けておきたいため

 東京転出を権力で妨害したのです。

 この事件は京都府と裁判所での対立に発展し、大蔵省と司法省の対立という

 政治問題にまで発展した。

 

 新政府の江藤新平の創った裁判所は、一般市民にとっては最後の砦

 しかし長州閥の支配する新政府にとっては、邪魔者でしかなかった。

 木戸は「裁判所など廃止した方が、天下のためであり人民のためである」

 と息巻いた。

 

 木戸は不正を容赦しない司法省に対する憎悪で、いっぱいだった。

 長州人を中心とした政府首脳こそが、腐敗の権化であった。

 だいたい小野組が、東京へ行こうとどこへ行こうと勝手である。

 それを自分たちの収入減が減るといって、権力で妨害するとは、、、

 もう一つ長州閥の山縣有朋の有名な汚職事件があるのですが

 長くなりましたので、またの機会にしたいと思います。

 

 それにしても井上馨といい、木戸孝允といい山縣有朋といい

 ほんとに汚濁にまみれた新政府集団です。

 この集団に激しい憎悪を抱き、西郷は鹿児島に帰るのです。

 

 世に言う征韓論に敗れたからではありません。

 次はそれを見てみたいと思います。