★★犯人たちを処罰せず、報償を与え昇格させた国
張作霖の爆殺は、中国側の犯行の火に油を注ぐ結果となってしまった。
これはどのようにみても、明白な殺人行為です。
犯人を厳罰に処するのが当然でした。
しかしそれは不問にされ、現職軍人、河本らの処罰を中止したのです。
日本国家の責任は重大です。
実は張作霖の殺害計画は、建川美次少将に託されていたのです。
建川は閑院宮の子分です。
建川は皇室特務集団の特権メンバーで、日露戦争の際には
彼はロシア国境の向こう側に侵入し、張作霖や中国人盗賊らとともに動く
建川挺身隊という不正規部隊を組織していました。
戦後は、建川は明治天皇より勲章を授かり、宮廷のお気に入りとなった。
その建川は1928年3月、北京の日本大使館付き武官に転任し
2か月にわたり張作霖の監視を続けていたのです。
6月2日、張作霖は長城を超えて、自領に引き上げると部下の司令官たちに
電報を打った。
建川は北京の鉄道基地において、部下に北に向かうすべての列車の
編成や経路を調べ上げるよう手配していた。
その部下は田中隆吉
奉天では河本は通過するすべての列車に対して、準備を整えていた。
奉天の郊外で、河本は部下に3袋の爆薬を埋めさせ、付近の丘の
点火装置と電線でつないだ。
張作霖に恨みを持つ、3人の満州人兵士が雇われ、中国側の線路の上に
見張り役として立たせた、、、、
そして実行された、、、、、
建川はそれが実行されたことに、衝撃を受けたと告白した
なんともしらじらしい、、、、
そして所有する関係電報をすべて焼却したのです。
張作霖の殺害に対して、河本にはなんと報償が与えられ、満州に残り
産業界で様々なうまみのある仕事を手にしている。
彼の息子、河本敏夫は国会議員になり、自民党の要職者となった。
建川も一般幕僚の基幹部署、陸軍諜報部長へと昇格しました。
張作霖暗殺のその他の関与者も処罰されていません。
他国の要人を殺害しておきながら、その犯人たちを処罰せず
それよりも報償を与え、昇格させている、、、、、
この国は一体、どうなっているのでしょうか
張作霖爆殺の指令は誰だったのでしょう、、、、、
殺害された張作霖の子、学良は蒋介石を支持して国民党の傘下にはいります。
そして日本の植民地支配からの脱却の努力を開始します。
日本はこれをもって、日本の権益の侵害と見、学良への反感を高め
父の張作霖よりもはるかに周到大規模な、満州武力占領計画を進めた。
そして柳条湖事件が起きる、、、、