前回は原首相の暗殺まででしたね。
首相を暗殺したというのに、生涯犯人は面倒を見られたというから
なんとも不思議な国ですね。
もう一人、この時期生涯、面倒を見られた犯人を紹介しましょう。
★★★大震災
★その日
1923年9月1日といえば、関東大震災が発生した日です。
火災の中を逃げ惑う民衆は、お堀で囲まれた安全な皇居の緑地に
入ろうとしていた。
だが、そこで行く手を警察官に遮られ、後方には火の手がせまっていた。
「ロシアを見よ、決して武器を捨てるな」
と叫ぶ社会主義の大杉栄の扇動を、民衆は喝さいして受け入れた。
その二週間後、特高は大杉とその妻、7歳の甥もともに逮捕した。
この三人は逮捕された後、殺されます。
関東大震災で、東京や神奈川が混乱に陥るとし、戒厳令が
発せられていたさなか、9月16日大杉は、内縁の妻、伊藤野枝を連れ
鶴見区の伊藤野枝の前夫、辻潤をみまった。
しかし、辻は留守だったので近くの大杉の弟、大杉勇宅を訪ねた。
そこには大杉の妹、あやめとその息子、宗一が来ていた。
宗一が東京の焼け跡を見たいというので、大杉と伊藤は宗一を連れて
東京に戻ることにした。
その夕方、自宅付近に戻ってみると、張り込み中の憲兵隊員に
強引に連行され、憲兵隊司令本部に連れていかれてしまう。
大杉の友人の新聞記者、安成二郎は帰ってこない大杉の行方を捜すが
見つからず家族は捜索願を出した。
警視庁は捜索願を受けて、調べてみたところ、憲兵隊員はすでに帰したと答えた。
18日、報知新聞で大杉夫妻が子供とともに憲兵隊に連れていかれたという
記事が出て噂はすぐに広まった。
警視庁官房主事の正力松太郎は、子供が関わっていたことを憂慮して
警視総監、湯浅倉平に相談、するとすぐ内部の犯行が明らかになった。
9月19日、甘粕と森が監獄に収監された。
また、古井戸から三人の遺体が引き上げられた。
湯浅倉平は裕仁付きの侍従で後に内大臣となった。
★犯行
甘粕は大杉の次は堺利彦と福田狂二を殺す予定だったと述べた。
甘粕の子供殺しは、地震のどさくさにまぎれようとしたもの。
そしてみせかけの裁判の後、甘粕は禁固10年の刑が言い渡されたが
後にひそかに3年に減刑されています。
その後、ヨーロッパ留学のためとお金を受け取りパリでスパイ活動をし
満州で名目のみの仕事をして安楽に暮らしていた。
1945年8月20日、青酸カリをのみ
「我々は大きな賭けにまけた、これで終わりだ」
というメモを残して死んだ。
堺利彦
幸徳秋水、内村鑑三らと理想団を結成
社会主義思想に共鳴し、非戦論を唱えていた。