政府は4月1日、新元号を「令和」と決めました。
1日はNHKはじめテレビ局は、朝から改元祭りでした。
明治、大正、昭和、平成、、、、そして令和
明治、大正、昭和までは、元号の決定者は新天皇でした。
平成からは内閣が決めています。
そして安倍首相は、談話を発表しました。
「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように
一人一人の日本人が、明日への希望とともに
それぞれの花を大きく咲かせることができる
そうした日本でありたい」
一人一人の日本人が、明日への希望とともにそれぞれの花を
大きく咲かせることができる平和な日本をつくるのは、日本の指導者である
安倍首相の行動にかかっている。
平成の時代、大きな災害がいくつもありました。
被災者は今でも苦しみの中で生きている。
沖縄の県民をいじめぬいて、県民の民意を無視して
森加計問題もほったらかしで、不正問題もいい加減で
明日への希望とともに大きく花をさかせることなどできるわけがない。
元号だけ変わっても、政府の行動が変わらない限り
令和の時代も平成と少しも変わらない、、、、
だいたい今でもこんな元号を使っているのは
世界でただ一つ、日本だけです。
元号というのは、天皇が、時間を支配する象徴として用いられたもの。
日本は天皇が支配する世の中でした。
平成からは政府が支配しています。
その象徴として元号を使っているのです。
令和、、、、の令の字は、命令、指令、神に従う、、、という意味があるという。
令和の時代が、命令、指令、神に従う、、、、
そんな時代にならなければいいのですが、、、
●大日本帝国の再来にならぬよう
安保法制が施行されて3月29日で3年が経過しました。
そして日米同盟もかつてないほど強固になっています。
菅官房長官は
「日米同盟は、かつてないほど強固になり、抑止力、対処力も向上し
地域の平和と安全に寄与している」
と強調しています。
菅のいう抑止力とは、米国では「戦争に勝つ力」を意味します。
日本は戦争を現実のものとは考えず、すべてを同盟の抑止力に
結びつけて、安全が高まると錯覚しています。
アメリカのようにしょっちゅう、戦争しているわけではないので
なかなか現実のものとは、考えられないのでしょう。
また、政府は防衛政策の実践に向けて、兵器の整備も進めています。
海上自衛隊の護衛艦、「いずも」の空母化と長距離巡航ミサイルの
導入を中期防衛力整備計画に明記しました。
いずもの空母化も太平洋の航空優勢のためと説明していますが
太平洋で米艦を守れば、日本が安全になるというのでしょうか。
なぜか日本がどんどん恐ろしい方向に舵をとっているようで怖くなります。
天皇主権の下、国民の自由を強く拘束しつつ、強大な戦力を用いて
アジアの平和をかき乱してきた、大日本帝国の再来にならぬよう
国民は政府をしっかりと見張っていなければならないのかもしれない。
令和の時代も戦争のない平和な世の中であるといいですね。
西暦にすればわかりやすいのに、、、、、
世界で元号を使っているのは日本だけだから
世界とあわせて元号廃止論も根強くあります。
けれど日本は伝統のためだけではなく
天皇が支配してきた世の中を変えたくないのです。
明治維新から日本は狂っていきました。
安倍も明治150年祭を派手にやって、明治回帰を狙っています。
明治を礼賛する連中は、はっきり言って悪です。
その悪を覆い隠すために、明治を礼賛しているのです。
★★★大室家の長男を世に出すため
明治時代の幕開けは、恐怖の時代のはじまりでした。
穏やかで平和だった江戸時代が終わり、やがて軍靴の鳴り響く
戦争への道をまっしぐらに国民はつっ走らされていくのです。
明治時代の幕開けです。
今日から明治時代に起こった様々な事件をみていきましょう。
☆大日本帝国憲法 自分たちの秘密を守るために
第一条や第三条で、国家の主権が天皇にあることや、天皇の地位は神聖なもので、
侵すことはできないことが強調されています。
第四条では天皇は、「元首」であり、「統治権の総覧」者であること、
第十条では、天皇には官僚を任じたり辞めさせたりできる権利が記されています。
さらに天皇は陸海軍を率いる統帥権(とうすいけん)を持つこと(第十一条)や、
戦争を始めたり、講和したりする権利を持つこと(第十三条)の定めもあり、
陸海軍は内閣からも独立して天皇に直属していました。
このように天皇が国家を治める権利の全てを握ることが記されていました(天皇大権)。
第二十条では、兵役の義務が書かれています。
「日本臣民」という言葉は、天皇に仕える民という意味です。
昔は日本国民は、天皇に仕える民だったんですね。
この憲法をつくったのが伊藤博文です。
別名、伊藤憲法、、、、とも呼びます。
なんでこんな天皇、天皇、天皇、、、、の憲法をつくったのでしょう。
それは自分たちの出自を守るためです。
なぜそんなにもして出自を守らなければならなかったのでしょう、、、、、
それは絶対に人に言えない秘密があったから、、、、
それを守るためにこんな憲法をつくって、自分たちを守ったのです。
けれど秘密というものは、いつかは不思議とばれるもので
外国人などはその当時から知っていました。
今では日本人も少数の人を除き、知っている人も多くいますね。
では伊藤博文らの秘密をみていきましょう。
●玉の守役 伊藤俊輔
明治維新のとき、吉田松陰は大室家の存在をはっきりと認識していました。
だから大室弥兵衛の長男、寅之祐(1851~1912)を世に出すため
信頼する下忍の伊藤俊輔に、その守役を命じたのです。
☆大室文書
大室家の系譜を伝える大室文書も明治初期には残っていたが
維新の混乱に紛れて系図の行方も知れず、詳しい経緯も不明のまま
周防、周東部の正義派(浦家および清水家の家臣団、大島郡、熊毛郡
および玖珂郡高森、山代地方の志ある農民選抜兵)は、第二騎兵隊として
結集し石城山に屯所を構えて、玉の親衛隊となった。
慶応3年、3月萩から玉を連れて上洛することになり、中岡慎太郎
田中顕助、品川弥二郎、らと遊撃隊が駐屯している玖珂郡高森の
通化寺に至って待機していた。
4月上旬、大室家に使いが来て
「京へ上がるため寅之祐が高森まで来ているから
早く会いに来い」
という知らせが届いた。
早速、当主の弥兵衛らが高森まで急行したが、一足違いで
会えなかったという(大室近祐談)
慶応3年4月13日、玉の寅之祐は俊輔の力士隊に守られて
二本松の薩摩屋敷に入った。
そしてやがていつとはなしに秘密が漏れて、人々は玉のことを
奇兵隊天皇、、、、と呼ぶようになった。
その年の7月10日ごろ、長州の忍者グループは宮中にサルを放ち
即位したばかりの睦仁の手をひっかかせ、その傷に岩倉派の侍医が
毒入り膏薬を貼って暗殺した。
そして厚化粧をして変身した玉を内裏に入れて、身代わり天皇とした。
●身代わり天皇の教育
この身代わり天皇の教育を受け持ったのが、肥前、佐賀藩主
鍋島斉正である。
彼は当時、西洋事情に通じた日本一の殿さまだった。
どうして玉の教育係になったのかというと、上忍の木戸孝充に
頼まれて重い腰をあげたのだった。
そして斉正は藩士を率いて上京し、直ちに宮中に入って
玉の帝王教育に取り掛かった。(防長回天史)
そのとき洋式軍艦で上京した斉正は、上洛途中の船上で
次のような詩を作っています。
「言うをやめよ
時事ひいてめぐらすこと難し
天下、帝王補佐の才なからんや
京城の児女 まさに驚愕すべし
知るや否や 青竜海を翻して来たるを」
伊藤らの秘密の一つは、睦仁を暗殺したこと。
それは自分たちの意に沿わない睦仁を殺して
大室家の長男、寅之祐を世に出すためでした。
二人で一人の明治天皇著松重楊江