毎日暑い日が続いています、というか猛暑ですね。
熱中症で病院に搬送される人も多いですね。
★★★江戸、明治、大正、昭和、平成、、、、、
江戸、明治、大正、昭和、平成、、、、、
おだやかな江戸時代が200年以上も続いた時代を、長州のテロリストたちがぶっ壊して日本は
「明治」という軍事力がものをいう、帝国主義の時代に突入していきます。
明治24年、露国や清国の鋼鉄巨艦が威嚇訪問し、日本を震え上がらせました。
その3年後の日清戦争で日本は清国を破り、さらに10年後の日露戦争で日本は
軍事的勝利を収めます。
その勝利は日本男児の「大和魂」の勝利なんかではありません。
その勝利の原因は、日本が短期間のうちに露国や清国を上回る軍艦と兵器を
手にいれたことにあります。
日清、日露で辛くも勝利を手にした日本は、今度は昭和の時代になって
未曽有の惨劇を招く太平洋戦争へと進んでいきます。
日清、日露で勝利した日本国民も、最初は太平洋戦争への前哨戦である中国侵略を
お祭り気分で酔いしれていたのです。
そして未曽有の惨劇を残して敗戦、、、、
昭和の時代が終わると「平成」となり、戦争のない平和な時代へと日本は生まれ変わった。
憲法九条に守られて、、、、、、
ところが人間は愚かな動物で、戦後70年以上経った今、またも安倍政権は戦争への道を
手探りつつ共謀罪という名の治安維持法を成立させた。
安倍政権支持率急落の原因は、いろいろあるだろうが最大の原因は共謀罪です。
戦争のない平和な時代をずっと続けてきた日本人が、今更戦争なんて考えたくもない。
「治安維持法」が「共謀罪」と名を変えても、その中身は同じです。
だから選挙で「安倍帰れ」「安倍辞めろ」の大合唱が国民の中から起こった。
それに激怒した安倍は「あんな一握りのために、、、」と叫んだ。
自分の思うようにならない国民に向かって「あんな、、、、」とは、、、、
支持率急落も今や危険水域の20%台に突入しました。
歴史的大敗もしたのだから、共謀罪を廃止したほうが身のためです。
●明治政府の意気込み
明治の初め日本は「文明開化」「富国強兵」を合言葉に先進国への仲間入りを目指した。
日本が日清、日露戦争で勝利を収めたのは、軍艦、兵器を入手できたことにある。
その軍艦、兵器を外国から輸入するためには、巨額のお金がかかる。
明治末期には早くも日本は、世界有数の軍事大国にのし上がっています。
その軍艦、兵器を輸入するためには、その外貨は何によって充当されていたのでしょう。
それは「生糸」です。
生糸は当時、我が国最大の輸出商品でした。
その生糸は一体どこで、誰が作っていたのでしょう、、、、
そして、この生糸で一体誰が儲けたのでしょう、、、、
人はよく「明治維新」だとか「文明開化」だとか、簡単に言うけれど、鉄砲も軍艦もそして
鹿鳴館の華やかさも大変なお金が必要でした。
そのお金は一体どこからもってきたのでしょう、、、、
明治政府がとった官営殖産興業政策にしても、多くの外貨が必要でした。
鉄道、鉱山、造船、海運、農蚕、その他諸工業等、、、、、
ここに雇われて来たお雇い外国人の俸給、、、、、
太政大臣、三条実美 800円
重臣 岩倉具視 600円
参議 大久保利通 500円
そのころの俸給ですが、お雇い外国人の数は政府雇いだけで500人もいました。
民間雇いはそれ以上だった。
三条実美と同額の者が10人以上いたという。
この外国人技師の人件費にいかに巨額の外貨を、近代化のもとに支払われていたか。
(梅渓昇 お雇い外国人)
つまり生糸というものがなかったら、明治という時代はもっと変わったものになっていたはず。
その生糸は一体、どこで誰が作っていたのでしよう、、、、
生糸とは当時、我が国の大事な二大輸出品、、、、
それで皇后陛下までが、皇居内の紅葉山や青山御所に桑を植えて蚕を飼い
自ら糸ひきされたという時代、、、、
こうして東京にも桑畑が生まれ、洋式工場築地製糸は錦絵にまでなった。
明治政府の意気込みのほどがわかります。
日本最大の生糸王国と言えば、長野県諏訪地方です。
明治政府が強力に推し進めていった生糸を軍艦に変える富国強兵政策を
底辺で担ったのが無数の女工たちでした。
女工哀史で有名な野麦峠は映画にもなりました。
この生糸で一体誰が儲けたのでしょう、、、
まるまると太っていったのは、ただ巨大な軍艦だけでした。